LGBTQめぐる自民議員の発言は「“無知が招く恐ろしさ”の象徴」 オリパラ組織委理事が直言

來田 享子 プロフィール

「スポーツとLGBTQ当事者」に関する知識の欠如

スポーツ界は、誰もがありのままの自分でスポーツに参加できることを目指してきた。その道のりは容易ではないが、オリンピック大会や世界陸上などでも、2004年にはじめて、一定の条件の下で、自分の身体と心の性別の不一致に違和を抱え、性別を変更した選手(以下、トランスジェンダー選手)の参加がルールとして認められた*5

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このルール以降、性を区別して競技を実施してきたスポーツ界では、「一定の条件」をめぐる試行錯誤を続けている。

「誰も排除しないスポーツ」のあり方をめぐり、ルールには批判もある。たとえば2021年2月に報じられた、アメリカ・ミシシッピ州上院でのトランスジェンダー選手の女子競技への参加を禁じる法案審議などがその例だ*6 。こうした動きは、科学的根拠と人権の観点から問題があることについても指摘されている*7

ある基準を設ければ、それによって排除される人が出てきてしまうという状況がくり返されている現状は、性を区別して競技を行うことそれ自体の意味が問われていると理解すべきだろう。ちなみに、2019年12月現在のオリンピック大会における条件は次のように定められている*8

・性自認の宣言(宣言後4年間は変更不可)

・トランス女性(MtF)選手では(1)出場前最低1年間、血中テストステロンレベルが10nmol/l以下、(2)女子カテゴリーで競技を希望する期間中を通して血中テストステロンレベルが10nmol/l以下であること
 

「一人一人」の悩みと困難を一括りにしない

スポーツでは性的指向に関わる差別と、競技の性別カテゴリーに関わって生じる差別が混同して語られる場合がある。一括りに「性的少数者」あるいは「LGBT」や「LGBTQ」として語ることによって、混乱が生じたり、場合によっては当事者を傷つけたりすることもある。

性的指向に密接に関わる差別は、4つのローマ字表記の中では、L(レズビアン)、G(ゲイ)、B(バイセクシュアル)に含まれる人々に向けられる刃である場合が多い。チームメイトの何気ない冗談、観客のヤジなどの身近なところにも、この差別は忍び込む。当事者は居心地の悪さ、居場所のない思いを抱え込むことになる。

一方、ローマ字表記の中でT(トランスジェンダー)に含まれる人々は、身体のあり方によって性を区別して競うという、スポーツの制度そのものと、ありのままでいたい自分の存在との間で葛藤が生じ、場合によっては排除されてしまう。

Q(クエスチョニング)に含まれる人々にとっては、そもそも性を区別して競うスポーツそのものに違和感がある場合もあるだろう。

また、トランスジェンダーとは異なる問題として、スポーツの制度との間ではDSDs(Differences of Sex Development、体の性の様々な発達、医学的には「性分化疾患」)の人々が葛藤をかかえることも知られている。キャスター・セメンヤ選手やデュティ・チャンド選手がその例だ。

トランスジェンダーの選手は、性自認にもとづき性別を変更したことにより、スポーツの制度との間に葛藤が生じる。だが、この場合とDSDsの選手とは、抱えている困難がまったく異なるということが理解される必要がある。

DSDsの選手の場合は、性自認に対する本人のアイデンティティには何ら揺らぎはない。それにもかかわらず、トランスジェンダー選手に対する理解の仕方と混同されることが多々みられる。こうした混同は、DSDsの選手にとっては、生来の身体のあり方が否定される意味を持つ。スポーツが本人の意思に反して「人間の性別とはこういうものだ」と押しつける状態になっていることが問題なのだ。

スポーツの制度が彼女たちに与える暴力性は、当事者と家族を支援する団体「ネクスDSDジャパン」が伝えてくれている*9 。スポーツの参加規定では、トランスアスリート選手の参加規定とDSDsの選手に対するそれとは別に定められている*10

だが、DSDsの選手の参加規定をめぐっては、その科学的根拠に疑問が呈されている。現時点では、参加規定はセメンヤ選手にターゲットを絞ったような条件となっている。そのため、国連人権委員会*11 や人権NGO「ヒューマンライツウォッチ」*12 は、この参加規定が人種差別的であると同時にDSDsの選手の人権を侵害するものだと批判している。

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