LGBTQめぐる自民議員の発言は「“無知が招く恐ろしさ”の象徴」 オリパラ組織委理事が直言

來田 享子 プロフィール

身体が関わるスポーツという文化では、性別や性的指向をめぐる問題は複雑であり、スポーツ界でも選手、専門家など多くの関係者が「スポーツから誰も排除しないために何をなすべきか」を考え、取り組んでいる問題なのだ。人権の観点から性別に対する古い考え方を改め、スポーツ界がこの問題に向き合いはじめて、すでに15年以上が過ぎている。

山谷議員が発言したような「体は男だけど自分は女だから女子トイレに入れろ」という言葉からは、要望の背景に、当事者一人一人が抱えてきた人生をかけて闘ってきた困難があるという現実が切り取られてしまっている。知識のなさゆえに単純化されてしまった発言だといえるだろう。

スポーツに関しても「メダルをとる」という表現を用いることでスポーツの本質があたかも結果のみが大切な文化であるかのように矮小化されている。そうした表現によって、勝利を目指して日々を過ごす選手たちの無数の人生、努力や困難さは消し去られてしまう。それが性別や性的指向にもとづく問題と絡み合って表現されることで、誰もがありのままでスポーツをする権利を享受するために解決すべき問題の本質を見失わせ、さらには事実と異なる印象を人々にもたせる結果をも生み出している。

 

ここまでオリンピックの発するメッセージという視点、試行錯誤は続いているもののスポーツ界で行われてきた様々な試みやルールの元に競技が行われているという視点、性的少数者を一括りに論じているという問題点について触れてきた。冒頭の発言はトランスジェンダー選手のスポーツ参加という問題に対する認識の誤りと無知が招く恐ろしさが象徴されていると言ってもよい。

性別や性的指向にもとづいて人をカテゴリーで束ね、見当違いのラベルを貼り、思い込みで語る態度は、東京2020オリンピック・パラリンピック大会組織委員会の森元会長の発言と根っこが共通する。ジェンダー平等は、男性と女性の数あわせの問題だけではない。誰も排除されない社会を目指し、性別や性的指向をめぐる私たちの思考の見直しを迫る問題なのだ。

関連記事