年会費2000万円。日本最強・最高の危機管理会社、日本リスクコントロール。著名政治家、一流企業経営者、「芸能界のドン」、暴力団組長までが頼りにする知られざる「駆け込み寺」だ。依頼を受けるのは紹介者からの紹介があったときのみ、電話番号も公開せず、ホームページすらない。
同社の寺尾文孝社長は警視庁元機動隊員で、秦野章元警視総監の秘書を経て日本ドリーム観光の副社長を務め、許永中、伊藤寿永光、高橋治則、後藤忠政、中江滋樹らバブル紳士と対峙した。1999年に日本リスクコントロールを立ち上げ、政財界の「盾」として闇から闇に数多くの依頼を処理してきた。政治家・経済人・芸能人たちの「墓場まで持っていく秘密」。その一端を明かす驚愕の手記『闇の盾』の一部を紹介する。
同社の寺尾文孝社長は警視庁元機動隊員で、秦野章元警視総監の秘書を経て日本ドリーム観光の副社長を務め、許永中、伊藤寿永光、高橋治則、後藤忠政、中江滋樹らバブル紳士と対峙した。1999年に日本リスクコントロールを立ち上げ、政財界の「盾」として闇から闇に数多くの依頼を処理してきた。政治家・経済人・芸能人たちの「墓場まで持っていく秘密」。その一端を明かす驚愕の手記『闇の盾』の一部を紹介する。
封印された「ニセ医者事件」
昭和49(1974)年ごろ、警察庁会計課長の室城庸之氏が、ゴルフ練習場で見知らぬ男から声をかけられた。
「お上手ですね。シングルですか?」
「いやいやお恥ずかしい。ありがとうございます」

はじめはそんなやりとりだったらしい。男は小城健二郎と名乗り、職業は医者ということだった。年齢は50前後、恰幅のいい紳士で、いかにも裕福な開業医といった様子だ。
「こちらにはよくいらっしゃるんですか?」
「はい、この近くで開業しているもんですから」
「ほう、お医者さんですか」
「はい、今度ぜひいらっしゃってください。名刺をおわたししておきます」
小城は言葉巧みに室城氏に近づき、以後ふたりはときどき酒を酌み交わす仲となった。警察組織のなかでも、会計課長は将来の警視総監、警察庁長官候補が就く、出世ポストである。警察という組織には「必要悪」のカネがあり、会計課長はそれを処理する立場にある。いわば組織のキモの部分を知るわけで、幹部候補生でなければ任せられない仕事なのである。
室城さんは麻雀、ゴルフが大好きで、3週間先のゴルフの予定が決まっていないと機嫌が悪かった。私も何度かご一緒させてもらったが、大雨でも絶対に中止にしようとしない。警察庁の後輩が早朝、「さすがに今日は中止でしょう」と私に電話してきたので、「そう思うなら、室城さんに電話して聞いてみたら?」と言って電話を切ると、まもなく「決行です」と連絡が来た。室城さんから、「君、やりが降っているかね」と言われたというのだ。結局そのときは、ボールが見えないくらいの土砂降りのなかプレーした。室城さんのゴルフ好きは筋金入りだった。