農業研修生制度に応募
当時全国に広がる耕作放棄地は埼玉県の面積ほどあった。これを借りたらノーリスクだ。あとは自分が頑張るだけ。生物相手なら株や為替のような無味乾燥な世界ではないだろう。
でも農業が底値なのは儲からないからだ。ここで儲けるには何が必要か? 6次産業化だ。しかも付加価値が高いのはアルコール。日本酒では新しい免許は出ないがワイン作りならいける!!
そう考えた福島さんは、当時住んでいた目白台のマンションから通える場所だった小川町が設けていた農業研修生制度に応募。とある有機農家の農場で一年間研修生としてゼロから農業に向かい合った。2010年、40才になったころのことだった。
独学で農業生活をスタート
ここまでの発想や実行力も突飛だけれど、ここからの福島さんの農業生活もオリジナリティに溢れている。こう振り返る。
「葡萄栽培は誰にも教わっていません。小川町で葡萄栽培がうまくいくかは未知数でした。でも2011年から小公子という葡萄品種を植え、2013年には収穫ができた。そこからも失敗の連続ですが、いまはまあ順調に収穫量を伸ばしています」
2013年は250キロの収穫があった。この時から「雨が病気のもとになる」と仮説を立てて、雨よけをつけた。ところが翌年「もう大丈夫か?」と安心(慢心)して雨よけをつけなかったら収穫量は170キロに激減。駄目だ、やはり雨よけが必須なんだと再認識し、以降は設備を改良しながら今日に至っている。雨を避けると病気にならないから無農薬。日本の有機JAS基準では農薬扱いではない殺菌剤ボルドー液(消石灰硫酸銅)すらも使わない。さらにいえば肥料もまかない!その農法をこう語る。
「もともと今から農業を始めるなら無農薬でないと駄目だと思っていました。子どもも産まれていたし安心安全な食べ物でなければ食べさせられませんから。そのための雨よけです。しかも葡萄の枝を途中で切る摘心もしない。脇芽は摘みますが枝は伸びるだけ伸ばします。すると枝の長さと同じだけ地中の根も伸びて、自ら必要な栄養素をとってくる。だから肥料も不要なんです」
有機栽培という意味では、小川町にはその始祖で、農林水産祭天皇賞に輝く金子美登さん夫妻を中心とする「有機農業生産グループ」が半世紀の歴史を誇っている。福島さんはそのグループに入り、時には仲間の農場から行き場のない小粒大豆を買い取ったりもする。
「小粒大豆を大量に買い取って、今年は味噌を仕込んでいます」と笑う。
