迫るマグマ…35年前の火山噴火、被災した少年がいま記者になって“伝えたいこと”

NHK取材ノート編集部 プロフィール

“奇跡の全島避難”への疑問

緊迫する未曾有の出来事に対して、事前の計画なしに行われた避難劇。直接の犠牲者もなく、当時“奇跡の全島避難”と称賛された。行政、火山学者、警察、消防、自衛隊、海上保安庁、民間企業などが全力を尽くした。各機関が極限の状態で速やかに判断を繰り返し、結果として大成功だったのだと思う。

連日噴火を伝えた報道機関も、みずからの報道を褒めるような姿勢も見られた。しかし、その混乱の中にいた私はこの“称賛”に疑問を感じていた。一番救われるべき「被災者」の気持ちが置き去りにされたまま、評価されていないか…被災者も混乱の中で「驚き」「悲しみ」「怒り」そして「苦しみ」を持った。

特に情報の少なさには“振り回された”というのが正直な気持ちだ。当時小学生だった私の中で、この疑問はくすぶり続けていた。

ふるさとに戻った私は、伊豆大島噴火に関する書籍や新聞記事を読みあさった。記者だった父からも当時の状況や、何を伝えようと思っていたのかを聞き続けた。聞けば聞くほど知りたいことが多くなっていく。

「おまえ、島を出てみろ。広い世界を見てこい」

中学3年になった時、父からこう言われた。島が大好きった自分は、当然一生を島で過ごすと思っていた。避難生活の経験からも、正直言って都会は嫌いだ…。島を出ることは、この“居心地のいい環境”を離れ“厳しい環境”に身をさらすことだった。それでも、もっと世の中のことを知りたい。怖さも大きかったが、知りたい気持ちが先行した。

 

“新しい世界”を知る楽しさ

島を離れ都内の高校へ入学した。大学にもなんとか進学し、島をめぐるサークルに入った。休みの日はテント1つで、北海道から沖縄まで日本中を旅して回る。様々な土地の特徴を知り、地元の住民と話すのが楽しかった。

生活費や学費を稼ぐため、アルバイトを掛け持ちする。昼までアルバイトをして大学、そのあと深夜までまたアルバイト、という毎日。コンビニ、飲食店のホール、料理人、引っ越し屋、家庭教師、警備員、地下鉄の測量、釣りライター。歌舞伎町周辺の怖い人たちの格闘技の実験台、新薬の臨床試験、やれることは何でもやった。

正直キツかったが、色々な仕事を通して新しい世界を知るのが楽しかった。そして、それぞれの世界で喜んだり苦しんだりしながら生きている人たちの姿に感動を覚えた。現場の人たちの本当の気持ちは、現場にいないとわからない、そのことは私が少年の日に噴火災害で感じた気持ちともリンクした。

現場を取材する記者になりたい、災害担当記者になりたい、そう強く思った。

関連記事