もうひとつ、先だっての記事に対する反論で、「VHSやDVDで、倍速視聴なんて昔からできた。今に始まったことじゃない」というものがあったが、森永氏によれば「倍速視聴の目的が違う」という。
「昔の人が早送りしていたのは、自分のためですよね。コンテンツが大好きな人が、限られた時間でたくさん作品を観て、自分を満足させるため。だけど今の若者は、コミュニティで自分が息をしやすくするため、追いつけている自分に安心するために早送りしています。生存戦略としての、1.5倍速です」(森永氏)
カラオケボックスで、自分が心から歌いたい曲を歌うのではなく、そこにいるメンバーの顔ぶれを精査して、場がもっとも盛り上がる、“ウケる曲”を選曲するようなものだ。
「彼らは作品を鑑賞する“視聴者”ではなく、人間関係を維持するためにコンテンツを使う“ユーザー”なんですよ」(森永氏)
“コンテンツ”を倍速で効率的に摂取してて活用する“ユーザー”。“作品”や“視聴者”は、こういった横文字に取って代わられた、ということだ。
「個性的でなければいけない」という世間からの圧
先の記事における若者の動向では、もうひとつ、年長者の胸をざわつかせる箇所があった。少なくない数の若者たちが、「何かについてとても詳しいオタクに憧れている」にもかかわらず、「膨大な時間を費やして何百本、何千本もの作品を観たり読んだりすることを嫌う」というのだ。
まず、「若者はなぜオタクに憧れるのか」から考えてみたい。森永氏によれば、「すべての発端は、彼らが受けてきた“個性的でなければいけない”という世間からの圧」だという。
「ゆとり世代(おおむね1987〜2004年生まれ)以降の子供たちは、“個性を大事にしなさい”と言われて育ちました。SMAPの『世界に一つだけの花』(2003年シングル発売)の歌詞が象徴している、“ナンバーワンよりオンリーワン”ですね。
しかしその結果、東京に出てきてそこそこの大学に行って、そこそこの会社に入る人生では足りていないのではないか、と思い込むようになりました。“個性的じゃなきゃダメ”だという価値観が、若者たちの間でプレッシャーになったんです」(森永氏)
本来、“個性の尊重”は、競争社会や学歴主義に対するオルタナティブ(代わりとなるもの)として生まれた、「みんなに優しい価値観」のはずだった。にもかかわらず、「個性的であれ」という外圧が彼らを苦しめるとは皮肉だ。