2021.06.24

陸上・山縣亮太「日本新記録」のウラで、メディアが報じない“10秒00の壁”の厳しすぎる現実

「走る哲学者」の軌跡:前編

日本における陸上100mの世界で〈10秒00の壁〉は、たしかに存在した。10秒00が記録されながら、あと0.01秒が縮められない。2017年にその〈壁〉を破ったのは、9秒98を記録した桐生祥秀だった。

それから約4年、6月6日、山縣亮太は9秒95(追い風2.0メートル)という日本新記録を樹立した。大学時代からライバルとして桐生と並び称され、リオ五輪の男子400mリレーで銀メダルも獲得したアスリートだが、山縣にとっての〈壁〉を破るまでの道のりは、著しく困難なものだった。

ケガに次ぐケガ、上り調子の直後、予選落ちにまで転落する……。彼の大学時代から山縣を追いかけているスポーツ・ジャーナリストが、「走る哲学者」の軌跡を辿った――。

先駆者たちを追い越した

「ついに出たか!」

陸上競技の男子100メートルで山縣亮太選手が9秒95の日本新記録を打ち立てたとの一報を目にして、思わず、この言葉が私の口を突いて出た。彼のこれまでの苦難の歩みを知る人なら、誰もが同じように思ったのではないだろうか。

9秒95が出たのは6月6日。鳥取市で行われた布勢スプリントという競技会の決勝でのことだった。日本記録更新であると同時に、今夏の開催で揺れ動く東京五輪の参加標準記録(10秒05)を期限が迫る中で突破したという意味もある記録だった。

日本人男子による100メートル走の9秒台は、山縣選手の3学年下のライバルである桐生祥秀選手が2017年9月9日に記録した9秒98によって初めて達成される。1998年に伊東浩司選手が10秒00を出して以来、19年に渡って向き合わざるを得なかった〈10秒00の壁〉が突破された瞬間だった。

「SUMMERofATHSグランプリ」男子100m決勝での山縣選手と桐生選手/2017年3月11日(Photo by gettyimages)
 

その間、山縣選手は10秒07(12年)、05(16年)、03(16年)、00(17年)、00(18年)と繰り返し、じわじわと9秒台に迫るのだが、なかなか出せなかった。(13年から15年ころと19、20年に空白期間があるが、それらが先ほど「苦難」と書いた理由につながる)

足踏みする時間の経過の中で新たなライバルたちが台頭し、先を越していった。19年にサニブラウン・ハキーム選手が9秒97、小池祐貴選手が9秒98を出し、9秒台の日本人は3人になっていた。

山縣選手は〈10秒00の壁〉を突破する先駆者にはなれなかった。だけれども今回、先行する3人を飛び越えて、一気に9秒9台前半への扉を開くタイムまで到達したことには大きな価値がある。例えば、16年のリオデジャネイロ五輪の銅メダルは9秒91。9秒9台前半は五輪や世界選手権でのメダル争いに近づく領域だ。

自分で声に出した「ついに出たか」という言葉に引っ張られるように、私の頭の中では、いくつかの思いがグルグルと駆け巡っていた。山縣選手が現実に〈10秒00の壁〉を突破したいまとなったからこそ、改めて浮かんでくることだった。

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