2021.06.24

陸上・山縣亮太「日本新記録」のウラで、メディアが報じない“10秒00の壁”の厳しすぎる現実

「走る哲学者」の軌跡:前編
高野 祐太 プロフィール

“欲”が邪魔をしたロンドン五輪

「力で行こうという考えではなくて。自分の外で働いている重力なんかを使って走れるみたいな。力を抜いてリラックスして。(レース後半は)上げようと頑張るんじゃなくて」と語り、そうして「この話は聞いていて面白かったです」と目を輝かせた。

山縣選手が格闘してきたものには、自分の欲もあった。心の中に欲が沸き上がると、100メートルの走りは微妙に乱され、邪魔をする力、力みが身体に生まれ、たいていは良い結果に結びつかない。100メートル走とはそういう繊細な競技だ。

山縣選手は早くから、欲が勝負を左右しかねない要注意の心の動きだと気づき、経験を重ねながら欲との上手な付き合い方について考え続けていた。

高校3年のインターハイがそうだった。

決勝のレースの前に「優勝できるかもしれない」という欲張った計算が働き、走りながら「前半でリードしておかなければ」と身体を硬直させ、3位に敗退してしまう。その敗戦で学んだのは、「自分以外のことに心を乱されず、体に無駄な力が入らなければ、勝てる」ということだった。

12年のロンドン五輪がそうだった。

予選は初めての大舞台なのに力まない伸びやかな走りをやり切れた。自己新、日本人五輪最高の10秒07で準決勝に進出した。

ロンドンオリンピック、隣のレーンを走るタイソン・ゲイ選手はドーピングで失格となった(Photo by gettyimages)
 

だが、準決勝では「3番に入れば、あわよくば決勝も狙える」という欲が頭をよぎり、走りがわずかに乱れる。決勝の可能性を残す接戦の3着争いを制することができずに、6着の敗退だった。

「前に出たいという思いが表に出てしまった。まだまだ決勝の舞台で戦える人間にはなれていないのだと思います」と話し、思い通りとはいかないレースを糧にした。

ロンドン五輪で世界に通じる手応えと貴重な苦い経験を手にしたところまでは良かった。失敗や敗北があったとしても、次はもっと良い結果をもたらしてくれるという希望にあふれていた。だが、その陰で、いくつもの落とし穴が口を開けた、例の空白期間がひたひたと迫っていた。

関連記事