100分の1秒先に届かない
18年には、インドネシアの首都ジャカルタで開かれたアジア大会の決勝でも2度目の10秒00を出し、銅メダルを獲得した。だが、あと100分の1秒先にはやっぱり行けなかった。
19年のシーズンに入り、「今年こそは」という思いだったろう。ところが、6月に突然の気胸を患い、11月には米フロリダ合宿中に右足首靱帯断裂。余波は翌20年まで続き、唯一出場した8月のセイコーゴールデングランプリはかなり遅いタイムで予選落ちした。
災難はまだ起こる。20年の秋に右ひざが痛み出し、右膝蓋腱炎でほとんど練習できない事態に陥った。10月の日本選手権を欠場するしかなかった。
「一番つらい時期だったかもしれない。ひざは完治しないし、治っても同じ動きをしたらまたケガをする。『もう俺、続けられないかも』みたいなことを思った」
今回の日本記録更新を受けた大手メディアとの取材で、そう振り返るほどの深刻な状態だった。

こうして繰り返し襲いかかる災難に遭いながら、山縣選手が歩き続けてこられたのはどうしてだろう?
そう考えてしまう。いろいろと思い浮かぶことはあるけれど、19歳の初夏に語った「どこまでも行ける気がするんです」という言葉に立ち戻ってくる気がする。
困難の渦中にいるときには、この暗いトンネルからいつ抜け出せるのか、それどころか本当に抜け出せるときが来るのかさえ「まだ」分からない。それがどんなにつらいことか。暗いトンネルがどんなに長かったとしても、いついつまでに出口にたどり着くということが「もう」分かっていれば、つらさの質は随分と和らいだものになる。
私は16年に講談社の児童向けノンフィクションシリーズ「世の中への扉」の一冊として、山縣選手を軸とする『〈10秒00の壁〉を破れ!―陸上男子100m 若きアスリートたちの挑戦』という本を書いている。
「まだ=事前=未知」と「もう=事後=既知」は、〈壁〉の実態を探りながら本の中でも取り上げた概念だ。