陸上・山縣亮太「もう俺、続けられないかも」…引退の危機を救った「家族への愛」

「走る哲学者」の軌跡:後編
高野 祐太 プロフィール

こんな共通点が当てはまるとするならば、山縣選手のケガとの苦闘の道のりは、〈10秒00の壁〉を突破する道のりとオーバーラップし、ついにはピタリと重なり合った一本の隘路だったと言えるのかもしれない。

その暗中模索の隘路を、山縣選手は「どこまでも行く」気概の炎を心に宿し続けながら歩いてきたのだ。

他方で、19年、20年とケガの続発するころには、ついぞ9秒台を出せずに終わったとしても、それも彼の人生かなと、私は密かに思うようになっていた。もちろん、アスリートたるもの燦然と輝く結果を残すことが最大の目標に違いない。

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だが仮に、今後華々しい舞台で脚光を浴びることがなく、人々の記憶からも記録の上からも隠れた存在になっていったとしても、9秒台が「まだ」のまま終わったとしても、それはそれとして仕方のないことだと(良い意味で)あきらめられる人なのではないか、と思うようになっていた。

いや、単にあきらめるのとも違う。9秒台や世界の決勝の舞台に立つ目標を達成できないアスリート人生に、達成できたアスリート人生に代わる価値を見いだせる人なのではないかと思うようになっていた。なぜだろう?

いまとなっては最初の危機の空白期間に当たる13年12月、「何のために走るのか」というようなテーマについて訊いていたとき、彼は私にこんなことを言った。

「どこまでも行ける」の本当の意味

「僕にもし愛する家族ができたとして、陸上での成功と家族の幸せのどちらかを選択しなければならないようなことになったら、多分、陸上をあきらめると思います」

あれは陸上をいつでも投げ出したってかまわないという意味ではなかった。「どこまでも行った」先に100メートル走での栄光以上の幸せが待っているかもしれないんだという深い洞察と強い覚悟のように感じた。そんなことが、「代わりの価値を見いだせる人」と思うようになった根底にあるのかもしれない。

だが(だからこそ、かもしれない)、ついに、山縣選手は〈10秒00の壁〉を破った。

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