陸上・山縣亮太「もう俺、続けられないかも」…引退の危機を救った「家族への愛」

「走る哲学者」の軌跡:後編
高野 祐太 プロフィール

その走りは、春先のレースから際立っていた。力みなく、だから力強く、大らかに駆ける身体の躍動。泥沼の危機を潜り抜けて、さらに新たなものを獲得しているように見えた。ここがゴールではない、どこまでも行けるというような、しばり付けようとするものから解き放たれたような走りだった。

ここまで思いが巡ってきて、脳裏によみがえる一つの言葉がある。それを反芻するうちに、胸の奥がヒリヒリと痛むような感じがしてくる。

山縣選手は出産予定日よりかなり早くこの世に生まれ出てきた。一時は生死の境をさまよい、そして助かった。かつて父親の浩一さんが教えてくれた。このとき、無事に第二子を授かった喜びの中でこう思ったのだと、しみじみと浩一さんが語った言葉だ。

「亮太は生まれたときに生きるか死ぬかという試練を経験した。だから、これからどんな困難があってもどうにかなるだろう」

「まだ」の暗闇の中は、その中にいる者には予想もつかない困難に満ちている。だが、それがどんな困難であっても、どんな結末が待っていようとも、自分の進むべき道を行く。この在り様こそが、山縣選手に〈10秒00の壁〉を破らせた。〈壁〉が「もう」破られたいま、そんな気がしている。山縣選手の歩みは、まだ続く。

〈10秒00の壁〉を破れ! 陸上男子100m 若きアスリートたちの挑戦

1998年に伊東浩司が10秒00という記録を出して以降、19年間にわたって、そのよりわずか0.01秒でも速くゴールした者はいなかった。

日本の陸上界において、間違いなく存在した〈10秒00の壁〉。乗り越えるのは不可能と思われた〈壁〉に挑んできた若きアスリートたちの努力のベクトルを、山縣亮太へのインタビューを中心に解き明かした一冊。

超人的な肉体を持つ諸外国の有力選手と比べて小柄な日本人アスリートたちは、フォーム、走り方から修正し、0.01秒を縮めるため、科学的な裏付けをもとに練習してきた。

陸上選手に寄り添ってきたスポーツメーカー「アシックス」が、どのようにシューズを進化させてきたのかについても描く。

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