2021.06.29
# 戦争

若者を魅了する「三四三空」。率いた源田司令は「名参謀」か、それとも……。

「三四三空」の実像を追う・第1回前編
太平洋戦争末期、新鋭機「紫電改(しでんかい)」を主力機として、日本本土に押し寄せる米軍機を迎え撃った航空隊があった。司令・源田實(げんだ みのる)大佐が率いる第三四三海軍航空隊(剣部隊)である。
その活躍は戦後、映画や漫画などさまざまな媒体で描かれ、戦史に興味を持つ人たちの間で高い人気を誇ってきた。近年では漫画やアニメの影響か、従来とはまた違った形で、若い世代にファン層を広げている。
人々はなぜ三四三空に惹かれるのか、そのイメージは、いつ誰が作ったのか。四半世紀にわたる当事者へのインタビューをもとに考察する。

その第1回は、源田司令と、飛行長として部隊を支えた志賀淑雄少佐の物語である。
 

脚光を浴びる第三四三海軍航空隊

筆者が子供の頃に行われた参議院議員選挙で、立候補ポスターのなかに、ひときわインパクトの強い顔があった。笑顔で写る候補者が多いなか、その候補者は、彫りの深い顔立ちに猛禽類を思わせるようなするどい目をしていて、それが強く印象に残った。

候補者の名前は「源田実」(げんだ みのる)。筆者はその名前に見覚えがあった。というのも、ちばてつやの漫画「紫電改のタカ」の単行本を読んだのがちょうどその頃で、源田実は、漫画に出てくる紫電改部隊・三四三空の司令その人だったからだ。

源田は昭和37(1962)年、航空幕僚長を退任した直後に行われた第6回参議院議員通常選挙に自由民主党公認で全国区から立候補、得票数5位(定数50)で初当選を飾って以来、4期24年にわたって参議院議員をつとめた。昭和43(1968)年、石原慎太郎がトップ当選した第8回選挙では34位、昭和49(1974)年の第10回選挙では37位、昭和55(1980)年の第12回選挙では20位で当選しているが、おそらく筆者の記憶に残っているのは昭和49年の選挙ポスターだったと思われる。

三四三空司令・源田實大佐(左)と志賀淑雄少佐(右)。昭和20年春、松山基地にて。
 

あれから半世紀近く。いま、大戦末期に源田實(以下、名前は旧字の「實」で表記する)が率いた第三四三海軍航空隊がふたたび脚光を浴び、人気を博している。

漫画やアニメが火付け役になったようで、そのことは「少年マガジン」に「紫電改のタカ」の連載がはじまった昭和38年頃と同じだが、「紫電改のタカ」が、「滝城太郎」という架空の少年パイロットを主人公にしていたのに対し、近年では実在の隊員が実名で登場し、荒唐無稽な描かれ方をしているのを見かける。

ファン層も、かつては戦史に興味を持つ人たちが主流だったのが、いまでは史実や実像よりも、登場人物を「キャラクター」として捉える人が増えた。

「歴史に興味をもつきっかけに」「忘れ去られるよりはいい」と肯定的な見方もあるけれど、登場人物はそれぞれ、遺族も関係者もいる生身の人間である。80年近く前の話であっても、遺族のなかには、父や祖父や伯父の虚構が広がることを快く思わない人もいる。戦争の記憶は、まだそこまで乾ききっていないのだ。

その点が、戦国時代や幕末ものとはちがう、近い過去を題材にすることの難しさと言える。

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