最高裁大法廷決定で、夫婦別姓を認めない民法と戸籍法の規定を「合憲」と判断した結論が出たのは6月23日のこと。夫婦同姓を定めた民法750条には「夫婦は、婚姻の際に定めるところに従い、夫又は妻の氏を称する」という規定がある。また戸籍法74条「婚姻をしようとする者は、左の事項を届書に記載して、その旨を届け出なければならない」の1号には「夫婦が称する氏」と書かれている。今回最高裁は、「民法750条と戸籍法74条1号は婚姻の自由を謳う憲法24条に違反しているではないか」という訴えを退けた。
そこにどのような問題があるのか。選択的夫婦別姓が認められていない現在、かつては法律婚をしつつ、2回目は事実婚を選んだというジャーナリストの浜田敬子さんが実体験をもとに考察する。
法律婚をして直面したこと
「あー、またダメだったか……」
夫婦別姓を認めない現在の民法や戸籍法の規定が憲法に違反するかどうかを問われた最高裁の判断。結果は「合憲」、つまり夫婦同姓を定めた現在の民法などは、憲法24条の「婚姻の自由」に違反しないと判断された。この結果を聞いた時、心がドンヨリした。
私は選択的夫婦別姓制度が導入されることを心底待ち望んでいる1人である。
20代後半で1度目の結婚をした当初、ジェンダーに関する知識も乏しく、女性としての権利意識も希薄だった私は、ただ世の中の流れに沿うように法律婚をし、夫の姓に変えた。1990年代半ばだったが、当時勤めていた朝日新聞社にはすでに「通称使用」といって、仕事上旧姓をそのまま使い続けられる制度もあったので、改名することを軽く考えていた。
だが直面したのは、あらゆるものの名字を変える手続きの煩雑さだった。銀行口座からクレジットカード、運転免許証、健康保険証……終わったと思っても、後から後から名義変更しなければならないものが出てきて、相当ストレスだった。当時、仕事で忙しかったこともあり、この煩雑さを、結婚(法律婚)をしている女性たち全てが引き受けていることに呆然とした。もちろん、「結婚の実感」として、手続きをむしろ喜びと感じる人がいることもわかる。それは素晴らしいことだが、私にとっては煩雑以外のなにものでもなかった。
さらにストレスだったのは、その後だ。
仕事上の名前「浜田」と夫の名字である本名を時と場合によって使い分けることの面倒臭さといったら。会社では旧姓で仕事をしていたが、日常の細かい、例えば美容院やレストランの予約といった細々としたものでは、どちらの名前を使ったのか忘れたり、海外出張ではパスポート名(本名)でホテルを予約し(当時はパスポートに旧姓併記ができなかった)、会社から届くはずのFAXが受け取れなかったり(会社の人は本名を知らなかったので)。それだけのこと?と思われるかもしれないし、こうしたことをそれほど面倒だと感じない人もいるかもしれない。だが、私にはこの日常の小さなストレスの積み重ねがジワジワときた。
