山口組随一の武闘派・山本健一も敵わなかった「女傑」秀子夫人の罪と罰

喰うか喰われるか 私の山口組体験(4)
自らを刺傷され、息子までが襲われる――。日本最大の組織暴力と真っ向立ち向かい続けた溝口敦氏による、半世紀にわたった戦いの記録『喰うか喰われるか 私の山口組体験』から注目章を短期連載。

「女傑」秀子夫人の罪と罰

88年1月から本格的に山健こと山本健一の取材に入った。今回は編集担当の長綱和幸さんと神戸に行った。花隈の山健組事務所で夕方6時から夜11時まで、渡辺組長の了解を得て机の上にテープレコーダーを置き、それを回しながら都合5時間の取材になった。

※画像はイメージです。Photo by iStock

次の日、長綱さんは帰京し、私は大阪に出て山之内幸夫山口組顧問弁護士と揃ってミナミの島之内にある宅見家に行き、下の「瀬利奈」で肉をつつきながら、夕方5時から8時過ぎまで宅見若頭補佐を取材、その後、場所を宅見家に移すが、途中トイレを借りると、ピンクの大理石張りの浴室に案内されて驚いた。浴室の床は大理石を積み上げてピラミッド状に盛り上がっていき、その一番上に広い浴槽をしつらえていた。失礼ながらラブホテルという言葉が浮かんだ。聞きしに勝る宅見組長の財力の現れだった。

3月に入って山健組の松下正夫本部長を取材した。彼の一族はもともと神戸港の沿岸荷役業を仕切る五島組の系統だった。山健組の生え抜きではなく、その分、組に対して冷めた目を持っていた。記憶力がよく、話が面白く、しかも山健組内で唯一先代の未亡人、山本秀子さんときちんと交際を続けていた。

正久一代記と同様、山健一代記でもだれかに記事のチェック役に就いてもらう必要があった。当初はチェック役に宅見若頭補佐を考え、一度頼みかけたが、彼は忙しすぎる。松下本部長がいいのではないかと思いはじめた。

次の日、大阪で待機し、午後、松下本部長に電話すると、夜、山健未亡人の秀子さんが松下会に寄るというので、紹介してもらおうと再び神戸に出かけた。松下会に着くと、秀子さんが来るのは近くの松下正夫宅というのでそちらに移り、松下夫人などと世間話をしながら秀子さんを待った。

松下夫人は頭の回転がよく、話が面白い人だった。すぐこの後で知ることになるのだが、秀子さんも頭の回転がよく、話の面白い女性だった。二人のタイプはよく似ていた。二人とも若いころはスナックの経営など水商売を経験しているが、色気で客を呼ぶタイプではなく、人好きのする話術や態度で客の人気を集めるタイプだった。だからだろう、松下夫人も秀子未亡人と仲がよく、正夫本部長が長いこと秀子未亡人と交際を続けていられるのも松下夫人の力が大きいだろうと感じた。

現れた秀子未亡人はズバッとした物言いをし、なぜか「女傑」という言葉が浮かんだ。中肉中背で均整の取れた体つきをし、弁舌がハッキリしている。事に臨んで下す判断は客観的と感じた。

彼女はいきなり「死んだ夫について本を出すことは中止にできないか。私と息子とはいま、まるで山健組と関係なく暮らしている。息子は会社勤めだから、本が出ることで悪い影響が出ることが心配だ」と言い出した。

私は言った。

「息子さんには悪い影響が出ないようにします。早い話、本のなかに息子さんを登場させなければいいのだし、言及もしません。これは私の一存で約束できます。しかし本そのものを出さないというのは不可能でしょう。出版社も山口組の執行部も乗り気になっています」

秀子未亡人は電話を掛けるために席を立った。ほどなく戻ってきて、「いま、息子と電話で話し合った。結論として本にすることを受けさせてもらいます」と言った。

彼女は話し出すと話が尽きず、この日、午前3時ごろまでずーっと話し続けてくれた。

このときの取材でも感じたことだが、取材を進めるうち、山健組について気づくことがあった。私がこのとき比較の対象にできたのは前の取材で知った竹中組だが、竹中組に比べて違和感を覚えた第一は古い組員が組に現存せず、しかも服役とか死没とかの理由ではなく、単に行方知れず、音信不通になっていることだった。たとえば取材で旗揚げ早々の山健組はどうだったか、当時の組員の体験を聞こうにも不可能である。行方知れずとなった原因は、たいていが破門、絶縁などの処分だった。乱発といっていいほど異常に処分数が多いという印象を持った。

 

秀子未亡人はこのとき、山健と結婚した当初、古い組員たちからいびられた体験も語ってくれた。

ひとがせっかく作ったのに『おやじ、カレーライス好きでないわい』と言われたとき、どんなにみじめになるか。自分が一番知らないかん夫のことを、人が知ってるいうのは耐えられへんですよ。

それに男の意地悪いうたら、女のより程度が悪い。ましてねじ曲がって育ってきたのが多いから、常識では考えられんような真似を平気でするわけ。あたしは黙って10年耐えました。あたしが権力を貯めたとき、そういうのは全部放り出しましたわな

ここで「放り出した」は破門にしたという意味だろう。

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