五代目若頭「宅見勝暗殺事件」

山口組の奥の院で起きた本当のこと
自らを刺傷され、息子までが襲われる――。日本最大の組織暴力と真っ向立ち向かい続けた溝口敦氏による、半世紀にわたった戦いの記録『喰うか喰われるか 私の山口組体験』から注目章を短期連載。

宅見勝襲撃の一報を受けて

宅見若頭はその日、新神戸駅に隣り合う新神戸オリエンタルホテル4階のティーラウンジで総本部長の岸本才三、副本部長の野上哲男と談笑中に射殺された。4人から成る襲撃犯グループは拳銃で宅見の頭に2発、胸部に5発の銃弾を撃ち込んで宅見は失血死した。

稲川会との親睦ゴルフに興じる宅見勝五代目若頭(撮影:眞弓準)
 

この事件を知り、私は直感的に山口組内の犯行ではないかと思った。このことは朝日新聞大阪版(97年8月29日付)に寄せた私のコメントに窺える。

〈山口組の動向に詳しいルポライターの溝口敦さんは「若頭を射殺するということは、山口組に挑戦状をたたきつけるのと同じで、ほかの組による犯行とは考えにくい。山口組内部には『宅見のやり方は手ぬるい』という声があり、反発する傘下の組の犯行ではないか」と話している〉

友人の毎日新聞社会部記者はこの記事を目にして「警察が何も言っていないのに、溝口は内部犯行説を唱えている。大丈夫なのかと心配だったけど、2、3日たつと、山口組系中野会の犯行と割れてきた。溝口の見立ては間違いじゃなかったとホッとした」と、後で話してくれた。

私は過去、宅見の系列を引く大原組の組員と覚しき者に左の脇背を刺されたり、映画『民暴の帝王』で原作者の名前を外されたりしてきたが、だからといって、宅見を憎たらしいとか、不倶戴天の敵とか思ったことはない。だから宅見が殺されてバンザイとは思わず、単に「やっぱりな」と自分が7年前に立てた見通しを誇らしく感じた。

刺される理由になった『五代目山口組』に、私は次のような事実を書いた。他のメディアはたぶんこうした細かい事実を知らなかったか、知っていても山口組を憚って書かなかったかである。ちょっと長めになるが、引用させていただく。

五代目山口組最高幹部の面々(撮影:眞弓準)

〈渡辺の五代目擁立、実現に力あったのは宅見勝、岸本才三、野上哲男の三人である。彼ら、とりわけ宅見勝が新人事のリーダーシップを握った。

まず野上哲男がすでに88年暮の段階で、渡辺から組長としての発言をしないという言質を引き出したとされる。つまり、首尾よく渡辺が五代目になった暁には組運営の権限を、われわれ執行部に任せてほしい、渡辺は年齢も若く、直系組長に上ってからの日も浅い、経験に不足しているから、当分の間、我々の働きを見守ってだけいてほしい、五代目の土台づくりは我々がする、と提案し、渡辺は諒承した。(略)

宅見勝は渡辺より4歳年長である。普通、組長より若頭が若い。また宅見の率いる宅見組では組長のほかに組長代行を置いている。そのためもあってか、宅見勝は最初、組長代行の椅子を望み、渡辺に話を通した上、渡辺からそれを提案させたという。組長代行が組長の権限の分与であることは渡辺にも分明だったろう。だが、あえてそれを納得させ、第三者に反対しづらいよう、渡辺に発言させるあたりに、渡辺―宅見の関係が如実に見てとられる。

しかし、この宅見の目論見は通らなかった。

「『渡辺という組長が健在でありながら、組長代行というのはちょっと……』と中西さん(一男現最高顧問)、小西さん(音松同顧問)が難色を示し『そういうことやったら、副組長でどうや』と妥協案を示した。宅見さんは即座に『副組長なら要らん。頭(若頭)でいいわ』というんで、若頭に決定したという話です」(直系組長)

山口組の現在は若頭・宅見勝というより組長代行・宅見勝と見たほうがいっそうわかりやすい〉

渡辺が組長としての発言をしない期間は就任後5年と定められたようだが、宅見は五代目体制が発足して8年たっても若頭を退任しようとはしなかった。いくら渡辺が御しやすい相手であっても組長になって8年もたてば、取り巻きもできるし、知恵を授ける忠臣も登場する。彼らが宅見勝の排除に動き、渡辺の権限を回復、確立しようとするのはだれにでもわかることだろう。

関連記事