「宅見勝暗殺事件」――真相を中野太郎が激白

喰うか喰われるか 私の山口組体験(6)/終
自らを刺傷され、息子までが襲われる――。日本最大の組織暴力と真っ向立ち向かい続けた溝口敦氏による、半世紀にわたった戦いの記録『喰うか喰われるか 私の山口組体験』から注目章を短期連載。

脳に霧がかかったほうが勝ちなのか

こうして宅見射殺事件は終わった(※前回記事参照)が、私は07年8月、療養中だった中野太郎を訪ね、インタビューした。03年1月、中野は脳梗塞で倒れ、言葉はやや明瞭さを欠いたが、不自由ではなかった。長身をベッドに横たえ、顔色はいい。

※画像はイメージです。Photo by iStock
 

「何でも質問してください。正直に答えますよ」と、中野は言った。
  
Q宅見若頭射殺事件に入る前のこととして、宅見若頭とは一緒にやっていけないような因縁があったのか。

中野「前年(96年)ごろ、こういうことがあったんですわ。宅見が私に会いたいと言うてきたんです。で、会うと『カネあるでえ。あって邪魔なもんやなし、要るんなら回すでえ』って。わしは『ふ~ん』言うて、話に乗らなかったんですわ。

そしたら『カネが要るなら、いつでも言うてくれたら、すぐ現金で、本部からトラックで運ぶからよ』って。結局、カネを出してでも、わしを仲間にしたかったんやな。親分(渡辺芳則組長)を放り出して新体制をつくる考えをもっていたわけや

Qそれは渡辺組長に対するクーデター計画だったのか。

中野「そうや。宅見はわしを仲間に入れたかった。わしは言うたわけや。『どっちにしても親分についていく立場なんやから、オレにそんな話言わんといてくれ』って。

最後に、わし言うたわ。

『悪いけどオレ断るわ。その話(クーデター計画)、オレに言わんかったことにしてくれ』って。そしたら宅見はプイッと立って、山口組本部の五代目がおるとこ、奥の院っていうんです、一番奥にあるからね、『中野、中野、オレちょっと奥の院行ったら、あの野郎蹴っぺ返して(蹴っ飛ばして?)くるから、あんたはなんやかんや言わんといてや』って。『あんたの好きなようにしたらエエやん』って言うたら『ほんまあ?』言うたわ。したいんやったら一人でやったらええ。それ以上オレに言わんといてくれやって、わし言いましたわ

中野の脳髄には霧がかかっているのか、言うことはどこかおぼつかない。宅見がいきなり中野にカネを用立てると申し出る、あるいはこれから渡辺組長を蹴ってくると言い出すなど、リアリティーを欠いているように思われるが、たぶん100パーセントのウソではなかったろう。

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