2021.07.06
# 学校・教育

「ひきこもっていてもラクに生きる」公的支援の届きにくい「ひきこもり」問題への”意外すぎる対策”

飯田 一史 プロフィール

公的支援に欠ける「予防」と「途切れやすさ」の視点

――「支援」に関する評価軸や視点が、就労をゴールとする行政・法律と当事者とでは、求めているものにズレがあるとも、本の中で指摘がありましたよね。

高井 行政はあくまでも「福祉」、生活保護の手前の生活困窮者をどう就労させるかという視点のみなんですね。「ひきこもれるということは親が養ってるやんか。何が問題なん?」と、ある社会福祉協議会の人に言われたことがありました。「何も言ってこうへんよ」と。

しかし、八〇五〇の状況を鑑みますと、親が亡くなるとひきこもり当事者の孤立死が目に見えています。相当追い詰められても自らSOSを出さない可能性が高い。そういうことの「予防」という観点が行政にはまだまだ欠けています。

もちろん、国が2018年に中高年ひきこもりに関する調査を行ったにもかかわらず、その後まるで方針が見えない、なぜか手を打つ気配がないから現場でも動きにくいということもあるのかもしれません。

いずれにしても「こんなクズ同然の自分に税金を使ってもらうのは申し訳ない」と思う当事者もいますが、命を救うためにたとえば必要な方に生活保護を受けやすい制度や社会の空気づくりであるとか、やるべきこと、やれることは無数にあります。

 

――支援という点から考えた場合、ひきこもり固有の特徴は何かありますか。

高井 ほかの社会問題や病気・ケガの場合は、当事者が声をあげたり、支援している人たちのところに相談に来てくれます。対してひきこもりの場合、当事者が外に出られない、人と会いたくない、支援しますと伝えても拒むことがあります。ところが公的な支援はそういう前提に立っていない。

政令指定都市ならば自立支援センターがありますし、そうでなくても行政に相談窓口自体はあるんです。家族が行って相談すると、次に「本人を連れてきてください。だめなら、こちらから行きます」となりますが、そこで当事者から「自分はSOSを出してない」「ひきこもりじゃない。今たまたま家にいるだけ」「よその人が家に来られても困る」と拒否されると公的な支援から切れてしまう。

そうなると親はNPOや同じ境遇の人たちの集まりである「親の会」に相談するか、あきらめて孤立するしかない。つまり行政が把握しているひきこもりはいわば彼らにとっての「成功事例」だけなんです。援助・支援の手が届かなかったケースはカウントされていない。

[PHOTO]iStock

ですからたとえば、コロナ禍によってZoomやSlackが普及しましたが、僕らもそういうものを使って当事者の方とコミュニケーションすることで「ああ、この人はこういう人なんだ」と必ずしも顔や声がなくても理解できる機会が増え、以前であれば外部とまったく音信不通な方であっても多少なりとも情報が入るようになりました。

役所も窓口対応以外にメールや各種オンラインツールを使って家から出なくてもフォローアップする方法をせめて採り入れるとか、ひきこもりの特性を踏まえた対策を考えてほしいですね。

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