死者に「憑依」された女性が、古刹の住職に「除霊」してもらうまで

霊が見えるのが「普通」の生活だった
宮城県の古刹・通大寺では、人間に「憑依」した死者を成仏させる「除霊」の儀式が、今もひっそりと行われている。震災後、30名を超える霊に憑かれた20代の女性と、その魂を死者が行くべき場所に送った金田諦應住職。彼女の憑依体験から除霊の儀式まで、一部始終を取材した大宅賞作家・奥野修司氏が、このたび単行本『死者の告白 30人に憑依された女性の記録』を上梓した。今回は、その中から、女性が金田住職に出会うまでの出来事を独白した部分を公開する。

「わたしにだけ見える人」がいる

 子供の頃から、いつもわたしにはお友達が1人多かったように思う。

 たとえば、お友達のおうちに遊びに行った時もそうです。お友達のお姉ちゃんが入って一緒に遊んだつもりで家に帰り、お姉ちゃんのことを母に報告すると、「だって英ちゃん、あそこはお兄ちゃんが2人で、女の子はあなたのお友達しかいないはずよ」と言われるんです。じゃ、一緒に遊んだあの子は誰なんだろうと思っていました。

 小学校時代のある時、スピリチュアルな話をわたしと一緒にしていた友達から、「英ちゃん、もうこういう話をするのはやめよう」と、いきなり申し訳なさそうに言われたことがあります。その友達も、わたしと同じ世界を見ていたと思っていたのですが、実はわたしの「空想」に付き合ってくれていたんだと気づき、それからは人前でこうした話はしなくなりました。

 わたしが最初に「死霊」を見たのは幼稚園に入る前だったかと思います。寒い時期ではなかった記憶がありますが、トイレに行った帰りに風呂場の前を通ると、白いワンピースを着た黒髪の女性が立っていたのです。

 もっとも、当時は子供だったのでワンピースだと思ったのですが、今から思えば、あれは真っ白な死に装束だったのかもしれません。通り過ぎたあと、「あれ?」と思って、もう一度確かめようと風呂場に戻ると、誰もいないのです。

 時間が飛びますが、中学生の頃に身内の法事があってお寺に行きました。本堂の横にあるお座敷に入ると親戚の人たちが集まっています。ふと見ると、奥座敷に亡くなった方たちの写真がずらっと並んでいました。

 家族に「この写真は何?」と尋ねると、無縁仏になった人やお寺につながりのある人たちで、写真を飾って供養してもらっている人もいるという説明でした。

 その時、おじいさんの妹にすごい綺麗な人がいて、その方の写真もここに飾られているんだよと言われて見せていただきました。そしたら、なんと幼稚園に入る前に風呂場の前で見たあの女性だったのです。写真をひっくり返してみるとわたしと同じ苗字でした。あれは身内の人だったんだと、その時初めて知ったのです。

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 他の人には見えないのに、わたしだけに見える人がいるというのは、小さい頃からごく普通のことでしたね。見えるといっても、オカルト映画によくある幽霊のように、ぼんやりと浮遊している人形ではないのです。死んでいるとはわからないほどリアルでしたから、見分けがつかない時もありました。

 でも学校では普通に過ごしていました。わたしの体質を知っている友人は数えるほどしかいませんでしたが、知られても気にしないし気にされたこともなかったと思う。

 ただしょっちゅう心霊現象に出遭うので、面倒くさいと思ったことはよくありました。妹がカラオケボックスに行って帰ってきた時でした。そこで、すごく怖い思いをしたと言うのです。その時、妹の横に女の人がいるのが見えたので「それって女の人の声だったでしょ」と言ったら、母も妹も「なんでわかるの?」と言うんです。「だって、連れてきてるじゃない?」と言った途端、母にものすごく叱られました。それからは、母や妹の前でもそういうことを言うのはタブーなんだと思って言わなくなりました。