死者に「憑依」される現象の実態とは 津波の犠牲者に憑かれた女性の記録

今でも「憑依」される人は存在している
宮城県の古刹・通大寺では、人間に「憑依」した死者を成仏させる「除霊」の儀式が、今もひっそりと行われている。震災後、30名を超える霊に憑かれた20代の女性・高村英さんと、その魂を死者が行くべき場所に送った金田諦應住職。彼女の憑依体験から除霊の儀式まで、一部始終を取材した大宅賞作家・奥野修司氏が、このたび単行本『死者の告白 30人に憑依された女性の記録』を上梓した。今回は、著者の奥野氏が「憑依」現象の謎に迫った部分を紹介する。

「霊」と「幽霊」の違い

高村英さんが「おにぎりを食べたい」と言った男の子に憑依された体験を語ったあと、何気なく言った言葉がずっと気になっていた。

「わたしは霊を信じていないんです」

高村さんは、今まさに霊に憑依された体験を語っているのだ。彼女が霊を信じていないというのは理解できなかった。僕は思い切って「どういうことですか?」と尋ねた。いつものように数秒ほど沈黙したあと、こう言った。

「霊という言葉に抵抗があるだけで、存在を頭から否定しているわけではないんです。世間に広がっている霊のイメージに抵抗があると言えばいいでしょうか。たとえば、わたしは父を亡くしていますが、あなたのお父さんは幽霊になっているよと言われるのはあまりしっくりこないですよね」

その時、これまで高村さんが僕に「亡くなった人」とは言っても、決して「霊」とは言わなかった理由がやっとわかった。「憑依」という言葉も、僕が当たり前のように使うので仕方なく使っていたようだ。

「魂を否定してるわけではないんですね」と僕は高村さんに尋ねた。

「もちろん否定していません」

「そうですか。僕の個人的な意見ですが、『霊』は精神的な実体であって、タマとも読まれるように魂のことだと思っています。生きているものの本質とでもいいますか、実体として存在するかどうかは別に、なければ困ります。……幽霊譚は12世紀に成立した『今昔物語集』にも出てくるのですが、僕らがイメージする幽霊は、近世に入って怪談が謡曲や歌舞伎などに取り上げられるようになってからつくられたフィクション、つまりお化けだと思っています。『幽霊』と『霊』を混同されている方がいますが、僕は、『霊』をいわば“死後の意識”と理解しています。死者の魂です」

「だとしたら、全然否定はしていません」

フィクションの「幽霊」(円山応挙画 個人蔵 (カリフォルニア大学バークレー美術館寄託)photo by Wikimedia Commons)

死者の霊も「人」

彼女とは憑依した霊への見方からして違うが、それでも話し合うことで「霊」に対する認識の違いは小さくなっていった。ただ、「除霊」や「憑依」という言葉に関しては相変わらずその差は埋まることがなかった。

金田住職が行った除霊の儀式は、仏教でいう「迷える霊」を供養して成仏してもらうものだから、キリスト教でいう悪霊を取り除くニュアンスの「除霊」とはもちろん異なるのだが、他に言葉がないから便宜的に使っていると説明したが、それでも彼女は「除霊」も「憑依」も違和感があると言った。その違いは、霊との距離感の差かもしれない。

僕にとって霊は空想の産物であって実体がない。

しかし彼女は実体を感じるのだろう。

「霊」という言葉を使わないのもそのためだと思われる。彼女には亡くなった死者の霊でも「人」なのである。結局、こうした認識の違いがあっても、相手が使う言葉を尊重して受け入れることにした。どう違うかはあえて僕から説明しないが、彼女の表現からそれを汲み取っていただければと思う。