今でも「憑依」される人は存在している
憑依現象は、自ら体験しない限り、理解するのは簡単ではない。たとえば、猫は天井裏で鳴いているネズミの声を聞くことができるが、人間には全く聞こえない。人間が聞き取れる周波数を超えているからだ。ところが、まれにだが、聞こえる人がいるそうである。かといって、どう聞こえるかなんて余人には想像もできないだろう。僕が高村さんの体験を想像しがたいのもそれと同じかもしれない。
「憑依」という言葉がよく使われるようになったのは戦後だが、その昔は「憑霊」「憑く」「神がかり」「降りる」などといった言葉が使われていたというから、憑依という現象そのものは古くからあったのだろう。21世紀になった今も除霊の儀式を受ける人がいるのは、時代が変わっても憑依される人が一定数いることを示している。
池上良正駒澤大学名誉教授の『死者の救済史』(角川選書、2003年)には、悪霊に憑かれた出来事が紹介されている。憑かれたのは沖縄の男性でキリスト教の信徒である。最初にあらわれたのは離島出身の祖母で、その地方の方言で語った。30分ほどすると、これまで経典に接したことがないこの男性が僧侶の声になり、お経を唱え始めたという。お経が1時間ほど続いたあと、自殺した友人があらわれ、「痛い、痛い」と泣き出した。牧師が「イエス様のもとへ行きなさい」と言うと、男は我に返ったという。
ここでは憑いた霊は悪魔になっているが、それはともかく、高村さんが体験したような複数体による憑依現象は彼女だけではないようである。

卑弥呼がいた古代なら、何かが乗り移るといった憑依現象は、祭政一致に大きな力があったと想像できるし、近代においても天理教や大本教は「神がかり」という憑依で始まったとされる。宗教の多くは「神の啓示」という言葉があるように、憑依現象と深く関わっているのかもしれない。もちろん僕がいう「憑依」には、悪いものが憑くというイメージは全くない。
宗教学者を訪ねて
僕は「憑依」や「除霊」についてもう少し知りたいと思い、宗教学者として高名な京都大学「政策のための科学ユニット」のカール・ベッカー教授を訪ねた。
僕が高村さんの説明をすると、ベッカー教授は「日本の歴史からすると、そういうことはよくあることで、とくに怖がることはないと思います」と言った。
「(明治時代の)廃仏毀釈まで除霊は当たり前でした。ところが、廃仏毀釈の後、浄土真宗では、霊の存在とあの世の存在を親鸞上人が言われた通りに信じる人たちと、お浄土はあの世ではなく今の世にあると再解釈した人たちの2派に分かれたんです。でも、神道を含めてそれ以外の宗教は、すべて霊の存在を信じているし、除霊を含む技術やお祓いなどの方法も持っています」
「日本の憑依現象はいつ頃から記録にあらわれてきますか?」
「文字が、一般人や一般貴族に広がるのが平安中期から鎌倉前期あたりですから、その意味で『宇治拾遺物語』や『今昔物語集』が古い例だと思います。でも、部分的に解釈すれば、『日本書紀』にも少しありますし、証拠はありませんが、卑弥呼も霊とつながりのあるシャーマン的な存在だったと言われています」