両親が日本国籍を取得しなければ代表になれない
そうして地元クラブで「楽しいバスケ」をやっていたエブリン選手だが、めきめき上達し、14歳にして日本代表に選ばれるまでに成長した。
「U−16日本代表に予想外なことに14歳で選ばれたんです。でも出場するには日本国籍に変えなきゃいけないということをそこで初めて知りました。だからいきなり選択を迫られたんですよ。そのときに初めて『自分はどっちの国籍なんだろう』と真剣に考えました。自分は日本で生まれ育ったので、日本国籍をとるのが当たり前だと思ってました。でも両親がガーナ人だから日本国籍は簡単には取れません。アメリカでは生まれた場所で国籍が与えられ、二重国籍で大人になってから選択することができる。なんで日本は国籍取得に対してもっと柔軟にできないんだろうと思いました」
「日本代表として国際大会に出場したい」。そんな想いをきっかけに家族が日本国籍をとることになった。しかし、そう簡単に日本国籍を取得できるわけではない。日本では、未成年の場合、日本国籍を取得するためには両親も帰化申請しなければいけない。その苦労をエブリン選手は目の当たりにした。
「家で両親が日本語の勉強しているんですよ。両親にとって一番辛いのが読み書き。面接だけならいいですけど、読み書きはだいぶ苦労していました。仕事して夜遅く帰ってきても漢字の勉強をしていましたね。それでも迷わずに帰化することを選んでくれた。これは自分が大人になったら恩返ししないとって思いました」

高校のときも、母フランシスカさんはいつも試合会場に足を運び、観覧席から踊ったり、人一倍声援を送るその姿は一際目立っていたそう。その応援は現在コロナ禍であまり見られないかもしれないが、今でも続いている。エブリン選手が様々な苦難を乗り越えた背景には母から譲り受けた明るさがあった。
「これからの時代、ハーフの子や、日本生まれだけどルーツが違う子っていうのは日本にどんどん増えてくると思います。そういう子達には、自分のことを見てほしい。辛い思いをしても自分次第で変えていける。自分は明るい性格で解決したけど、いろんな解決法があるので、見つけてもらえるきっかけになったら。何もないことは絶対にない。みんなに魅力があるんです。そういうことをバスケやメディアを通して発信していきたいです」

エブリン選手がバスケットボールで活躍することで、同じような境遇の子ども達を勇気づけることができる。それはエブリン選手だからこそ、伝えられることだろう。エブリン選手は、「自分が唯一無二の存在であることに気づくこと」が第一歩だという。
「自分で言うのもって感じなんですけど、本当に自分には自分の魅力があるので。人と違う特別なものを持っているのはすごく強みになる。でも、ちっちゃいときってそのことに気付けないし、隠したくなるんですよね。だからこそ自分を大事にしてほしいし、自分を表現する大切さを知ってほしいと思います」
後編では、そんなエブリン選手が持ち前の身体能力からなぜバスケットボールの道に進んだのか、そこでどのように能力を伸ばして五輪代表をつかみとったのか。エブリン選手の今を作ったスポーツ指導や魅力についてクローズアップしてお届けする。
