愛する家族がテロの犠牲になってしまう。そんな悲しいことはない。しかしその報復のために戦争が続いた場合、その悲しみは果たして癒えるのだろうか。
2001年9月11日に起きたアメリカ同時多発テロ。ニューヨークのワールド・トレード・センター・ビルのノースタワーに朝8時56分、サウスタワーに9時3分。ハイジャックされた飛行機が突入した。ペンタゴンでもハイジャックされた飛行機が墜落し、日本人24人を含む3000人もの死者を出し、6000人もの負傷者が出たと発表されている。
決して許されないテロ行為に対し、当時のアメリカブッシュ大統領はテロを決して許さないと戦争を決行。10月7日の空爆を機に、アフガニスタン戦争が始まった。テロの首謀者といわれるオサマ・ビンラディンの引き渡しをもとめての戦争。しかし、この戦争により、罪なき人々の命もたくさん奪われていた。
20年前の悲しい事件を決して忘れてはならないと、犠牲者の一人・杉山陽一さんの妻・晴美さんが自身の著書『天に昇った命、地に舞い降りた命』の再編集と書下ろしにより綴る連載9回目は、2002年2月、まだ行方不明の陽一さんの情報がなにも見つからない時期、3歳と1歳の男の子をかかえ、9カ月になるお腹の子をアメリカで出産する決意をした晴美さんが、アフガニスタン戦争について感じたことをお伝えする。
アフガン空爆、この恐怖は他人事ではない
【2月13日】
歴史的大惨事に自分が巻き込まれたという事実。これはまた実際経験してみないと起こり得なかった変化を、自分の中に引き起こしていた。
テロへの報復としてアメリカはついに戦争への道を選んだ。アフガニスタン空爆の映像を毎日繰り返し目にする日々がやってきた。そう、わたしはもうテレビの中の恐怖を他人事とはとらえられなくなっていたのだ。あの9月11日を境に、空爆を受けているアフガニスタンの人々と、無意識のレベルで同じ恐怖を共有していた。
いままではテレビの中の惨事を見ても、その被害を受けた人々の大変さを思っても、他人事の域は超えられてはいなかった。どこかで、自分とは無縁の恐怖ととらえていたけれど、いまは明らかにちがう。
あの9月11日、自分の身に画面の中の恐怖が本当にふりかかり、映像の恐怖とわたしの中の恐怖がつながった。もう他国の戦火の下で逃げ惑う人々の恐怖は、他人の恐怖とは思えない、まさに自分の恐怖なのだ。
子供を抱えている人、どんなにか不安だろう。お腹に赤ちゃんを宿している人だっているはずだ。そして愛する人を失ってしまった人。どんなにか深い悲しみと恐怖の中にいるだろう。
もう嫌、もうひとりとしてこんなつらい思いをする人を増やしたくない。もうたくさん。こんな思いをどうかもう……誰もしちゃいけないよ。平和を……永遠の平和を……心の底から願うわたしになっていた。