ベストセラー『死ぬときに後悔すること25』の著者にして緩和ケア医である大津秀一氏の最新刊『幸せに死ぬために 人生を豊かにする「早期緩和ケア」』で描かれる、死の最前線の現場で見落としてはいけない「患者さんの声」とはーー。
安楽死の議論はどのようになっていくか
「先生、安楽死についてはどう思いますか?」しばしば聞かれます。日本では、安楽死が世界の広範にわたって認められているかのような誤解が一部に存在します。また日本では、一般に馴染みが薄いことも相まって、安楽死についての語句を他の言葉と意図的に、あるいは非意図的に混同して用いている場合もあります。
正確な医学の言葉として、実は狭義の安楽死が指し示すものはかなり限定されています。安楽死とは医師等の医療者により、致死的な薬剤を注射等で投与されることで直接的な死がもたらされることです。処方するなどして与えられた薬剤を自分が用いるのは「医師等自殺幇助」と呼ばれます。

最近は医師以外が致死薬を準備することもあるとして、医療的自殺幇助とも呼ばれることが増えてきているとのことです。また自殺(suicide)という言葉が好まれず、死(dying)の言葉が使われるようになっているようです。京都大学大学院文学研究科のレポート「世界の安楽死概観Ver.2」によれば次のようになっています。
・医師等自殺幇助のみ容認されている国・地域......米国の一部州(オレゴン州、カリフォルニア州、コロラド州、コロンビア特別区、ハワイ州、メイン州、モンタナ州[判例]、ワシントン州、バーモント州、ニュージャージー州)、スイス(刑法解釈)
・両方が容認されている国・地域......オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、カナダ連邦、豪ビクトリア州
このように、世界中の様々な地域が安楽死や医師等自殺幇助を認めていますが、多数派ではないということはわかると思います。また日本では、安楽死に馴染みが薄いこともあって、医師等自殺幇助や、治療の差し控えと中止も一緒くたに「安楽死」と表現されている場合もあります。
娯楽作品などで取り上げられる場合には、同意なき「安楽死」......というよりは殺人を安楽死と表現している場合もありますね。なかなか実際に亡くなってゆく方を見たことがないとイメージがつかないと思うのですが、人が亡くなってゆくさまや苦痛の程度にはかなりの違いがあります。ふつうの人生において、臨終期の家族などを多数看取るという経験をすることは多くないと思います。
そのため、ご自身の体験で看取った姿が、「人の死にゆく姿」として認識されるのが通常です。実は、相当穏やかな死もあれば、結構苦しい死も......というより死ぬ前の状況もあります。もっとも、緩和ケアにおいては、どんな状況でもできる限りの苦痛緩和は行います。
そのため、後者のようなケースでも、緩和ケアの専門家などが関わっていたら、もう少し最後の時間を楽に過ごせた可能性があります。ただ人は自分の経験に影響されますから、それが人の死として認識されます。そのため、もし苦しんで亡くなったような姿を見てしまうと、そのような姿が人の死だと捉えますから、自分はそうはなりたくない、苦しむようだったらいっそ楽にしてほしいと思いやすいかもしれません。