関東平野の地下にフォッサマグナはあるか?

フォッサマグナと武蔵野
藤岡 換太郎 プロフィール

南北に分かれていたフォッサマグナ

また、フォッサマグナについてナウマンは、日本列島を東西に分断する一本の溝と考えていましたが、その後の多くの研究によって、フォッサマグナは諏訪湖あたりを境にして南北に分かれることが指摘されました。地形や地質に、南北で大きな違いがあることがわかってきたからです。この小文はフォッサマグナの「東端問題」を考えるものですが、フォッサマグナの成因については「南北問題」を避けて通ることはできませんので、少しおつきあいください。

フォッサマグナの北部は、もともと日本海が陥没して深い地溝ができていたところへ、海底火山活動や周辺の陸地からの削剥によって運ばれた砂や泥が溝を埋めたものであることがわかってきました。かつては海だったこともあり、太平洋側から入ってきた暖かい海に住む生物が生息していました。

一方、フォッサマグナの南部は、太平洋からフィリピン海プレートに載って北上してきたいくつもの地塊(小さなプレート)が衝突を繰り返し、丹沢山地などの山脈が次々につくられていき、最後に「伊豆地塊」が衝突して伊豆半島ができ、それらが北部フォッサマグナとつながったことがわかりました。

こうして現在では、フォッサマグナはまったく異なるプロセスでできあがった北部フォッサマグナと南部フォッサマグナに分かれていることが明らかになってきたのです。

「奇跡」がフォッサマグナをつくった

では、日本海のなりたちから南北フォッサマグナができるまでの、現在、考えられているいるストーリーを、私見もまじえて描き出してみましょう。

およそ1700万年前、日本列島(古日本列島)はまだ、大陸の縁にへばりついていました。そのころ、当時の日本海(古日本海)で大きな地殻変動が始まりました。「ホットプルーム」と呼ばれる、直径1000km以上の巨大で高温な煙のようなものが、地下2900kmの深さから地表に上ってきたのです。その枝分かれの一つは、ちょうど大陸の縁の古日本列島の下から出てきました。これによって陸が融けてできたマグマの熱で、地表には3方向に割れ目ができて、そのうち2つの割れ目が日本海をつくり、さらに古日本列島を大陸から引きはがして現在の位置にまで移動させたのです。

このとき、地質学的にはほとんど同時といえる2000万年から1500万年の間に、日本海をつくったのと同じホットプルームの活動に端を発してフィリピン海プレートが南海トラフに向かって移動し、沈み込みを開始します。それにともない、プレートの上に載っている島弧(古伊豆・小笠原弧)が北上し、本州に衝突しはじめます。この島弧に丹沢地塊、伊豆地塊などが含まれていて、伊豆半島を形成したのです。

そして北部では、大陸からはがされてきた古日本列島が東西二つのブロックに分かれ、東日本は反時計回りに、西日本は少し遅れて逆に時計回りに回転しながら接続し、境界が北部フォッサマグナとなりました。そして南部では、次々と日本列島にぶつかって隆起した地塊が丹沢山地のような山々を形成し、のちには富士山、箱根山、浅間山などの火山活動が開始されて現在のような姿の南部フォッサマグナになったのです。

このように、北の日本海側と南の太平洋側でこれだけ巨大な地殻変動がほぼ同時に起こったことは、まさに「奇跡」といえました。しかも、それが日本列島のど真ん中を縦断して一つにつながったことで、フォッサマグナはできあがったのです。

なお、日本海で起こった地殻変動の理由は諸説が提唱されていますが、筆者はここで述べたようにホットプルーム説を採りたいと考えています。

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