関東平野の地下にフォッサマグナはあるか?

フォッサマグナと武蔵野
藤岡 換太郎 プロフィール

フォッサマグナの東端はどこだ

ここまで、長い前置きとなってしまいましたが、ようやく本題に入ります。フォッサマグナの東の端はどこかという問題です。

フォッサマグナは南北に日本列島を切る溝なので、東西の端ではそれぞれ、その外側とは地質的に明らかに異なる断層があるはずです。西の端では、それは糸魚川‐静岡構造線ということで、ナウマン以来ほとんどの研究者が納得しています。ところが東の端は、さまざまな断層の候補が提案されてはいるものの、いまだに決め手となるものが見つからず、どこが東端かを確定できていないのです。

たとえばナウマンは、柏崎(新潟県)と平塚(神奈川県)を結ぶ線を東の端と考えました。ナウマンやフォッサマグナを深く研究している地質学者の山下昇や、フォッサマグナミュージアムの竹之内耕らは、それよりぐっと東に寄せた、柏崎から千葉県へ向かう柏崎‐千葉構造線や、柏崎‐銚子構造線を東端と考えました。また、東京教育大学の藤本治義は、中山道の宿場で有名な岩村田(長野県)と甲州街道で名のある須玉(山梨県)の若神子を結ぶ岩村田‐若神子構造線を東端と想定しましたが、この構造線は地表には断層とわかる構造が見られないことからほとんど顧みられませんでした。

これらのなかでは、もし山下や竹之内が考えるような線がフォッサマグナの東端であれば、関東平野はめでたくフォッサマグナということになりますが、どうなのでしょうか。

武蔵野はフォッサマグナなりや?

では、筆者なりの考えを述べたいと思います。最近、産業技術総合研究所の高橋雅紀は、関東平野の地下には東北日本の「前弧」が入り込んでいるので、ここはフォッサマグナではないと言っています。前弧とは、海溝に海のプレートが沈み込んで陸側に火山フロントと呼ばれる火山の列ができたときの、海溝と火山フロントの間の領域のことです。そこでは、海溝にたまった陸上の堆積物(礫、砂、泥など)や、プレートが運んできた海側の堆積物(微生物の遺骸、海山の破片など)が海溝底で混ざって、陸側に付加されます。高橋は、関東平野のルーツは日本海溝に太平洋プレートが沈み込んで東北日本の火山フロントとの間にできた前弧であって、そもそもフォッサマグナとは出自が違うと言っているのです。筆者の考えも、これとほぼ同様です。

筆者はフォッサマグナの東端については、柏崎から松本に至る牛伏寺(ごふくじ)断層から、岩村田‐若神子構造線に続き、さらに藤の木(とうのき)‐相川構造線へつながってほぼ平塚へ至るのではないかと考えています。

筆者の考えるフォッサマグナの範囲

さきほど述べたように岩村田‐若神子構造線は、たしかに地表には明瞭な断層として現れてはいませんが、重力を測定して地殻の密度を測ると、この線を境に密度の値が大きく変化していることがわかっています。つまり、この線を境に地殻を構成する物質(地層や岩石)が異なっているのです。したがって地表には見えていなくても、地下には構造線(断層)があるものと考えられるのです。続く藤の木―相川構造線は、昔にあった海溝のあとです。そこにはフィリピン海プレートが沈み込んでいたのですが、丹沢地塊の衝突によって海溝が埋まってしまったと考えられます。

そして関東平野については、高橋が言うように、太平洋プレートが沈み込んでいる前弧であると考えています。武蔵野の地が長い間、海であったことは間違いないのですが、残念ながらフォッサマグナの延長であるという見方には、筆者は賛同できかねるのです。

しかし、そうであるとしても、それはそれで関東平野もじつは一筋縄ではいかないところです。というのも関東平野の地下では、沈み込んだ太平洋プレートの上に、新しく沈み込んでいるフィリピン海プレートが重なっているのです。フィリピン海プレートの前弧は相模トラフです。二つの前弧の異質な堆積物が混ざりあって、関東平野の地下はかなり複雑な様相を呈していると考えられるのです。ひょっとしたら、フォッサマグナにいるのとはまた違う「妖怪」が棲んでいるかもしれません。

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