地元の劇団に「お芝居を教えてください!」
目立ちたがり屋だった磯村さんは、「映画に関わるなら、まずは俳優になろう!」と思い、中学を卒業したら東京に行きたいと家族に掛け合った。しかしすぐの上京は親の理解を得られず、地元の高校に進学した。
「お芝居をしたい、有名になりたいという情熱があったのですが、親は芸能界を得体の知れないところだと思って怖がっていたこともあって、高校生を1人で東京に行かせてはくれませんでした。それで、どうしたら少しでも映画の仕事に近づけるかを色々考えて、地元の劇団を探して、自分で『お芝居を教えてください!』と電話しました。
ハングリー精神があったので、東京に行かなくても何か違う方法で芝居と関わりたくて、辿り着いた先が、沼津演劇研究所でした。そこでお芝居を学びながら、何かになりきって自分とはまた別の人生を生きられることの面白さを知ったんです」

大学進学を口実に上京したものの、頭の中は芝居のことばかり。小劇場を転々とし、「自分の限界を知りたくて」ひたすらに突き進んでいた。
「“これだ”って決めたら、とことんやらないと気が済まないタイプなんです(笑)。東京に出て来たからには芝居で身を立てるまでどんな苦労も厭わないと覚悟を決めていたし、親にも中学から『芝居をやりたい』と言い続けた手前、途中で諦めるわけにはいかなかったんです。当時は、とにかくガムシャラだったと思います。ただ、お金の不安はありましたね。小劇場の舞台に立つと、親は観に来てくれるんですが、当時はアルバイトしながらだったので、自分からは『観にきてくれてありがとう』とか『どうだった?』とか、声をかけられなくて……」

それでも、夢を諦めようと思うことはなかった。「ただ、一筋の光を目指して進んでいました」と、淡々とした口調で彼はいう。
そんな葛藤の日々も、2015年に「仮面ライダーゴースト」のオーディションでアラン役を射止め、潮目が変わった。コンスタントにテレビに出られるようになり、それまで「芝居では食べていけないのでは?」と心配する両親を安心させることができた。その2年後には、NHK連続テレビ小説でヒロインの相手役に抜擢。それ以降のコメディからシリアスまでこなす八面六臂の活躍ぶりは誰もが知るところだ。