――男性の方が「欲求」に対して弱いのでしょうか。

鈴木:それは少し社会学っぽい視点で説明すると、男性は「欲求を抑制されなくていい」存在である、と社会に許容されていたということなんだと思います。頭ではわかっているはずのものを男の人は抑えられない、男とはそういうもんだ、とされてきた。つまり、そのような男の欲望を社会が許容する。よって、抑えなくていいから抑えられない、という循環になります。

かつて男性たちは働いている中で感じる社会のプレッシャーゆえにそれを解消する性的な捌け口も必要であると主張しましたが、今や女性たちも社会で能力を発揮しています。それでは女性たちは社会から受けるプレッシャーを歪んだ形で発散しているかと言われれば、そうでもない

高学歴になって大企業に入ってストレスの掛かる仕事をしたら、セクハラをしてストレス解消をしたくなる、というような言い訳はもうできなくなっています。

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「なぜ男に絶望しないのか」を問う理由

――上野さんは鈴木さんとほぼ同年代の41歳(1990年2月)で出版した著書『ミッドナイトコール』(朝日文芸文庫)の中で、性暴力について「なぜ女が性を売るのか、なぜ女が性暴力の被害者になるのか」という問いよりも、「なぜ男はカネで女を買おうとするのか、なぜ男の性には暴力性が付きまとうのか」と問う方が先と述べています。
一方、鈴木さんは、夜の仕事から新聞記者の仕事を通して男性の様々な面を見ているせいか、「男性の性(さが)」に対して寛容である姿が窺えますが、そのことと「フェミニズム」は矛盾しないと感じていますか。

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鈴木:そこは、この往復書簡で私が聞いてみたかったことの一つにもつながってきます。以前、『おじさんメモリアル』(扶桑社)という本を書きました。買われる側の女性の話はあらゆる人が描いてきましたが、そこでは、買う側の話を書いてみようと思ったんです。

この本では男性を「加害」の視点では描いていません。滑稽で、時に惨めで、時にいじらしく、悲哀のある存在に見えたからです。この点はフェミニズム的な視点での批判があり得ますが、私にはどうしても「彼らは変わることなく女性を買い続けるだろう」という軽い絶望がありました。

一方、基本的に男性の加害性を批判し、男性が「買わない」という選択肢を取ることを期待する立場の人もいます。実は、私の方が辛辣なんです。そして、その男性に対する期待値の高さへの違和感は、私がこの往復書簡で書き続けたことでもあります。

私のこれまでの生き方は、「男への軽い絶望と諦めがあるから変化を期待しづらい。男が変わるのを待っていられないから、とりあえず深刻な被害を受けないように、あるいは被害を深刻なものにしないように自己防衛しよう」というスタンスだったように思います。だから、男性の変化を期待しているように見える若い世代のフェミニズムは眩しい反面、ちょっと無理あるな、とも感じていたわけです。

そこで、私よりさらに旧態依然とした社会を見てきて、ふんぞりかえったオヤジのなかで生きてきた上野さんに、「なぜ上野さんは男に絶望しないのですか?」と問い続けました。

(編集部注:鈴木さんの問いに上野さんがどう答えたのかについては、『往復書簡 限界から始まる』を読んでたしかめてみてください)