インド洋中に轟きわたった「世界最大の音」の正体

その到達距離、なんと4800km!

日本列島で、私たちがしばしば経験する自然現象や災害が、インド洋(特にその北東側)に面する国々でも、同じように起こっていることにお気づきでしょうか。

その共通項とは、火山噴火と地震、そして津波です。インドネシアのスマトラ島からジャワ島に沿って、きれいな弧を描いて延びているスンダ海溝(「ジャワ海溝」ともよぶ)。ここで、年間数センチメートルずつ、北向きに沈み込んでいるオーストラリアプレートが、時として大地震や巨大噴火を引き起こします。

ちょうど日本列島の東方海域、千島・カムチャツカ海溝や日本海溝に太平洋プレートが沈み込むことによって、日本列島がしばしば地震や火山噴火に襲われる状況と酷似しています。

本稿では3回の連載で、日本にとって決して他人事ではない、インド洋周辺で起こる巨大地震と火山噴火に焦点を当てます。そこから日本を見つめなおすこともできるかもしれません。

前回の記事〈地球から夏を消失させた巨大噴火…インドネシアに巨大火山が生まれる理由〉では、サマラス火山とタンボラ火山について述べました。今回は今から140年ほど前に発生した巨大噴火をご紹介します。

(本記事は『インド洋 日本の気候を支配する謎の大海』の内容を再構成したものです)

固唾を呑んで注視した「巨大噴火」

1883年に起こったクラカタウ火山(「クラカトア火山」ともよぶ)の噴火は、火山活動の規模だけからすれば、前回の記事でご紹介したサマラス火山やタンボラ火山をしのぐものではないかもしれません。しかし、はるかに強い印象を世界の人々に与え、長く語り継がれる噴火となっています。

その理由として、二つのことが考えられます。

クラカタウ火山(図4–1a参照)が、オランダ領東インドの政治的中心地であった大都市バタヴィア(現在のジャカルタ)に近かったという地理的な要因が一つ。つまり、目撃者や被害者が圧倒的に多かったこと。

そしてもう一つ、当時の国際社会が、産業革命にともなう科学技術の進展により、急速な近代化のさなかにあったという時期的な要因も無視できません。

たとえば、19世紀中頃は、電信技術の革新、すなわち海底ケーブル通信の黎明期でした。インドネシア周辺で最初の海底ケーブルが、ジャワ島とシンガポールおよびオーストラリアとのあいだに敷設されたばかりで、これと陸上の通信ネットワークがつながり、火山噴火とその後の悲惨な状況は、わずか1〜2日のうちに西欧諸国やアメリカへと配信されました。

地球の反対側に位置する先進諸国が、この巨大噴火の成りゆきを、固唾を呑んで注視したのです。70年足らずの時間差ではありますが、タンボラ火山のときとはまったく違う時代状況でした。

4回に及んだ激烈な噴火

ところで、初期の海底ケーブルは防水技術が未熟で、すぐに断線する不良品でした。そんなとき、優れた防水ゴムとして天然樹脂「グッタペルカ(ガタパーチャともいう)」が発見され、このゴムで被覆した海底ケーブルの良品が急速に普及しました。

グッタペルカの木は熱帯産の常緑高木で、その主要な原産地は、他ならぬインドネシアです。

グッタペルカで被覆された海底ケーブルを通じて世界を駆けめぐった最初の大事件がクラカタウ火山噴火であったというのは、なんとも皮肉なめぐり合わせでした。

話をクラカタウ火山に戻しましょう。

クラカタウ火山は、スマトラ島とジャワ島に挟まれたスンダ海峡に点在する、小規模な島々の集合体です。過去数万年、あるいはもっと以前から、おだやかな火山活動が継続して火山島が成長し、やがて大爆発を起こして島が陥没、そのあとにふたたび島が成長、というように、成長と破壊のサイクルを繰り返してきたと考えられています。

1883年5月10日から群発地震が始まり、5月20日に、群島のなかで最大面積のクラカタウ島(当時の面積は約39平方キロメートルで、伊豆大島の5分の2程度の大きさ)で、最初の大噴火が起こりました。噴煙が11キロメートルも立ち上ったと記録されています。しかし、これはまだ、序の口にすぎませんでした。小規模な噴火がしばらく続いたあと、同年8月26〜28日にかけて、歴史的な超巨大噴火の時がやって来ます。

とりわけ激烈な噴火が、8月27日の現地時刻5時30分、6時44分、10時2分、および10時52分の4回にわたって起こり、その噴煙は最大36キロメートル上空の成層圏にまで上昇しました。

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