2021.08.27
# 野球

オリックス・宮城大弥「極貧生活からのひたむきな挑戦」が胸を打つ

週刊現代 プロフィール

プロになって親孝行したい

こうした精神的な図太さと、へこたれずにすぐ前を向く姿勢が、宮城の粘り強く簡単には崩れないピッチングの源となった。

『宜野湾ポニーズ』の総監督・知名朝雄氏は、こう振り返る。

「大弥の野球センスは、私の指導歴の中でもナンバーワンでした。打つ、投げる、走る。三拍子そろった選手でしたね。

本格的に投手になった中学2年生から3年生の2年間で、1失点しかしていません。唯一の失点はアジア太平洋大会の決勝戦の台湾戦だったと思います。

なんと言っても、大弥の『野球で飯を食おう』という思いは飛び抜けていました。中学生で『プロに行って親孝行したい』と言ってのける子はなかなかいませんよ。

ご両親も熱心でしたね。お父さんは選手や周りの父兄の発言をためらわず注意するなど、かなり個性的な人でした。

 

ただ、私の指導に関して口を出すことはありませんでした。むしろ、私の指導に文句を言う父兄に食ってかかり、恐れられていましたね(笑)。

反対に、お母さんは朗らかで大人しい印象でした。近場で試合がある時はいつも二人で観戦に来ていましたよ。

しかし、遠征に関しては同行することはありませんでした。
本音では行きたくても、その余裕がなかったのでしょう。苦しい生活をしていたのは私にもわかっていました。

ユニフォームは可哀想になるほどボロボロで、道具は少年野球用のものをそのまま使ったり、チームメイトのお下がりをもらったりしていました。

それでも大弥は自らの苦労を表に出さず、ただただ一生懸命に野球に取り組んでいました」

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