2021.08.27
# 野球

オリックス・宮城大弥「極貧生活からのひたむきな挑戦」が胸を打つ

週刊現代 プロフィール

猛練習の日々が実を結び、宮城は15歳以下の日本代表に選出されるまでに成長していった。それ以降、その実力は全国に知れ渡る。

「進学した興南高校の他に、東京都にある強豪校の東海大菅生高校からもスカウトが来ていたんです。監督が直接沖縄に足を運んでくるなど、かなり熱心でした。

先方は家庭環境を考慮して、かなりの好条件を大弥に提示したようです。しかし大弥は自分の意思で興南を選んだ。興南への進学のため、苦手だった勉強にも必死で取り組んだのでしょう」(知名氏)

宮城がそこまでして興南を選んだのはなぜか。その裏には、亨さんの熱い思いがあった。

「大弥にはいくつもの高校からお誘いがありました。とりわけ神村学園(鹿児島県)と秀岳館(熊本県)は粘り強かった。

それでも私は、大弥に沖縄から甲子園を目指して欲しかった。県民の思いを背負って、甲子園で戦って欲しかったのです。

『もしお前が大阪桐蔭に行って沖縄の高校と戦うことになっても、俺は応援しないからな』と大弥に伝えました(笑)。

大弥が興南を選んだのは、そういった私の意図を汲んでくれたからでしょう」(亨さん)

 

宮城は家族を一番に思う少年だった。そして、プロ野球選手になって貧困から抜け出し、家族に楽をさせたいという思いを人一倍強く持っていた。こうした強い気持ちと、大好きな野球に対する情熱が、宮城を突き動かしていた。

両親もそんな息子を懸命に支えた。礼子さんはパートに励み、亨さんも昼は当時勤めていた沖縄ツーリストの社員として、夜は興南高校の寮監として寝る間も惜しんで働いた。それでもカネが貯まることはなく、出ていく一方だった。

関連記事