その美しさで多くの人を魅了する山、富士山。一方で、過去5600年間におよそ180回もの噴火を繰り返してきた、恐るべき火山でもあります。今年、富士山噴火のハザードマップが17年ぶりに改定され、溶岩流や火砕流など噴火の影響がより広がる可能性が示されました。
富士山は江戸時代の「宝永噴火」から300年あまり噴火していませんが、ハザードマップ検討委員会・委員長の藤井敏嗣さんはこう警鐘を鳴らします。
「必ず富士山は噴火しますから。いつかということは分からないけど、間違いなく噴火は起こります」
近年、過去の噴火を読み解く研究の進歩によって、活火山・富士山の姿が少しずつ見えてきました。正しく恐れて、備えるために-。富士山噴火研究の最前線に迫りました。 (NHK「サイエンスZERO」取材班)

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村を焼き、押しつぶした 江戸時代の大噴火
富士山の過去の噴火を知る手がかりは古文書や絵図などの史料に残されています。記録が存在する西暦800年ごろから現在までの1200年あまりの間に記録されている噴火の回数は10回。直近の江戸時代の「宝永噴火」(1707年)からは300年以上が経過しています。

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今後の備えを考える上で専門家が注目しているのがこの宝永噴火です。富士山の噴火の中で最大規模であることに加え、多くの史料から噴火の推移や被害が分かっているためです。
宝永噴火を描いた絵図には、噴煙が山の中腹から立ち上る様子が残されています。実は、富士山は長らく山頂からの噴火は起こしていないのです。さらに、絵図に添えられた記述から、噴火は16日間に及んだことが分かっています。

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2019年、富士山から東に10キロほどの静岡県小山町須走地区で、当時の噴火の激しさと規模の大きさを物語る発見がありました。地面を2メートル掘ったところから、黒く焼け焦げた「木の柱」が見つかったのです。噴火による高温の噴出物によって家屋が燃え、2メートルを超える大量の火山灰の下に埋まったものです。

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地域に伝わる古文書には、村にあった家のうち37棟が焼失し、残る39棟もすべて火山灰の重みで倒壊したと記されていました。その証拠が初めて確認されたのです。

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宝永噴火の噴出物の被害を受けたのは山麓の村だけではありませんでした。噴火したのは12月。強い偏西風の影響で火山灰は南関東一帯に降り注ぎました。100キロほど離れた江戸でも数センチの灰が積もったことが確認されています。火山灰によって農地は荒れ果て、収穫ができなくなりました。また当時は咳に悩まされる人が多くいたと記録が残っています。