「左翼政党は“エリートのための党”になった」は本当か? その問題を考えるための「様々な前提」
『21世紀の資本』で一躍世界的に有名になったフランスの経済学者トマ・ピケティの新著『資本とイデオロギー』の刊行後、現在の先進国社会における政治的対立の構図をめぐる議論が盛んに行われている。
このエッセイでは、ピケティの著書そのものを議論する前提として、近年の比較政治研究において明らかになっているいくつかの事実と論点を紹介しておきたい。ピケティの著書は、彼独特の大規模なデータ収集と独自の分析によっているものの、比較政治研究の蓄積とのかみ合わせに意が払われているわけではない。
また、これらの議論が多分に政治的関心とともに行われているため、議論はしばしば単純化された路線対立の形をとり、経験的研究が明らかにしているニュアンスが捨象されがちである。しかし、十分に腑分けされた知見を基礎としなければ、政治的主張も誤ったものになる。そこで本エッセイでは「ピケティを読む前に」「ピケティをより良いかたちで理解するために」必要な理解を提供したい。
以下では最初の節でピケティの議論の現実政治的背景を説明する。その上で、議論の政治性に伴う単純化を相対化するために、後半二つの節で近年の比較政治研究の知見の概略を紹介する。
*なお社会民主主義と労働者の関係に関する近年の検討としてはスイスの政治学者による『社会民主主義と労働者階級:新たな投票パターン』があり本エッセイも参考にした。また日本語では近藤康史の論稿「ヨーロッパの社会民主主義/労働勢力」、「深まる社会民主主義政党のジレンマ」、「変化しつづける社会民主主義」などが優れている。
1.議論の政治的背景
ピケティの新著が扱う問題の背後にある政治的文脈は、伝統的左翼政党の凋落や、それを支える支持基盤の融解であり、それに対する対抗戦略をめぐる論争である。
これを考えるうえでまず思い出しておく必要があるのは、1990年代後半の西側世界が「中道左派の時代」だったことである。「21世紀に向けた進歩的ガヴァナンス」なる、西洋諸国の中道左派の首脳会合が1999年11月にフィレンツェで、2000年6月にはベルリンで開かれ、気勢を上げていたことを、どれくらいの人が覚えているだろうか。
1992年アメリカ大統領選挙でのビル・クリントンの選出を皮切りに、1997年にはイギリスでトニー・ブレア率いる労働党が勝利し、フランスでは社会党のリオネル・ジョスパンが首相の座に就いた。1994年から首相となった労働党のウィム・コックのもとでオランダは劇的な経済状況の改善を見ることとなり「オランダの奇跡」と呼ばれ、合意と交渉に基づくその改革は「ポルダー・モデル」(ポルダーはオランダの干拓地)と賞賛された。

イタリアでも1996年選挙での中道左派連合の勝利に基づいてロマーノ・プロディが首相となり、スペインでは1982年以降社会労働党のフェリペ・ゴンサーレスが政権を握っていた。この中道左派の波の掉尾を飾るのがドイツ1998年選挙での政権交代であり、社民党のゲルハルト・シュレーダーが緑の党と連合政権を樹立した。
各国の中道左派政権成立の事情や実際の政策にはバリエーションがあるが、イギリスにおける労働党の新たな路線のブレーンであった社会学者アンソニー・ギデンズの著作から、これらの動向は「第三の道」の社会民主主義、と呼ばれた。
かつてのような給付面に重点を置いた社会福祉や、財政支出を中心とする総需要管理による雇用確保に代えて、供給面に重点をおいて、個人の雇用可能性を高めるような社会政策にシフトするという方向性であり、経済政策的には「中道」にシフトしたものといえる。
支持基盤の面においても、経済の構造転換を背景に伝統的労働者層が縮小していることをうけて、中間層への支持者層拡大が目指された。その際、国によっては、1980年代に緑の党が提起した環境保護や社会文化的な自己決定への配慮も重視された。