2001年9月11日のアメリカ同時多発テロで、夫の陽一さんを失った杉山晴美さん。3人の子供たちを育てることに必死で駆け抜けてきた。しかし、長男が中学生になったころから、子供たちが自立するには親が自立しなければと、自身も目標を持ち、自分の人生を生きたいと強く思うようになる。

そうして取得した資格が「精神対話士」。医師とは異なり、ただその人に寄り添い、思いを聞く。そうやって誰かを支えられたらと強く思ったのだ。そうして今度は「話を聞く居場所を作りたい」と思うようになる。

もともと、陽一さんとも二人でラーメン屋をはしごするような食いしん坊夫婦。お酒を飲むのも大好きだった晴美さんは、常連だったお店のシェフとのタイミングを経て、イタリアンバールを開店することを決意する。
2001年から20年のことを綴る晴美さんの連載「あの日から20年」、20回目は経営の素人ではあった晴美さんだが、2015年から開店したイタリアンバールの挑戦についてお伝えする。前編では、「晴ればーる」と名づけたそのお店への思いを綴っていただく。

イタリア留学中の故・陽一さん。長男が生後10カ月ごろの写真。陽一さんも晴美さんもイタリアが大好きになった 写真提供/杉山晴美
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やってみたいことはやってみる

前回、子供たちが徐々に巣立っていく中、ここに来れば心が晴れる、笑顔になれる、そんなみんなの居場所を作りたい、そして自分自身も自分らしく居られる場所を作りたい。そんな想いで、2015年4月に「晴ればーる」という小さなイタリアンバールをオープンさせたお話をした。

50歳の新たな挑戦だった。経営は初めての経験。知識も実績もない。この年齢でこの世界に飛び込むのは正直怖かった。が、これまでの人生がわたしに勇気をくれた。経営者としての経験はないが、波乱万丈の人生経験は積んできた。多くの困難に直面しながらも、逃げずに正面から問題に向き合い、道を模索し取り組んできた。これからもどんなことが起ころうと、このスタイルを貫けば、やってやれないことはないのではないか。というか、そもそもまずはやってみないとわからない。何も始まらない。
自分の寿命はわからないが、人生が後半に入っているのは確かであろう。迷う時間がもったいない、いやそれでも迷うときは迷うのだが、進みながら迷えばいい、まずは進んでみよう!

そして何より、お店を持つことは、漠然としたものではあるが、わたしの夢でもあった。2001年の事件直後は実現できるなどとはまさか思っていなかったし、実際それどころではなく忘れかけていたのだが、そんなわたしのもとに縁とチャンスが巡ってきたのだ。

なんでも良いほうへ考えるわたしは、これを夫からの50歳の誕生日プレゼントであると勝手に決め込んだ。「どうしよう、商売なんてそう甘いものじゃないよね、でもね、挑戦するならこのタイミングだと思う。ここで挑戦しなくちゃ絶対後悔する、ねえ、どう思う?」そんな問いかけを心の中でしてみた。

夫は昔からわたしが相談を持ち掛けたときはいつもこう言っていた。

「やってみりゃいいじゃん」