20年前の「ある1日」を鮮明に覚えている、詳細に思い起こせるという方は限られているかもしれない。
私とて、全てを思い出せるわけではない。全てを鮮明に記憶しているわけではない。
がしかし、目を閉じて思い出そうとすると、様々なシーンが蘇ってくる。

目が覚めるとムッと何かが込み上げてくる、つわりの感覚。それをさけようと開けた窓から入り込む、ひんやりとした空気。その頭上に広がる、抜けるような真っ青な秋空。

そして、行ってきますも、いってらっしゃいもなく、会話の最中に玄関のドアが閉まる瞬間。その隙間から見えた夫の姿。

これは20年前のある1日の、朝のほんのいっときの事象。それでもこんなにも具体的な記憶が残っている。
だが、忘れたくても忘れられない、私の脳に深く刻み込まれたショックは、この記憶の約2時間後に起こるのである。

その「ある日」とは2001年9月11日。アメリカ同時多発テロが起きた日の出来事。
そう聞くと、私同様、忘れ得ぬ記憶として、青空をバックに煙を吐く穴のあいた高層ビルの映像を思い出す方も多いはず。それだけ映像的にもショッキングなものであった。

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ボストン発ロサンゼルス行きアメリカン航空11便がハイジャックされ、ワールド1に飛び込んだのは2001年9月11日、午前8時46分のこと。そして、同じくハイジャックされたボストン発ロサンゼルス行ユナイテッド航空175便は、午前9時3分にサウスタワーに突入した。このアメリカ同時多発テロ事件で、日本人24人を含む約3000人が亡くなり、負傷者は6000人以上とされている。

杉山晴美さんの夫の陽一さんは、当時の富士銀行(現・みずほ銀行)に勤務していた。あの日、なにがあったのか。そして20年どのように生きてきたのか。杉山さんの著書で当時ドラマ化もされた『天に上った命、地に舞い降りた命』の再編集と、晴美さんの書きおろしによりお届けしてきた連載「あの日から20年」、2021年9月11日にお送りする最終回の前編は、「あの日」当日のことを20年後の今、振り返る。NYで20年後の9月11日を迎えることを決意した晴美さんが、現地からメールで送ってくれた「あの日のこと」とは。
2021年9月のNY。20年前のこの日も青空が広がっていた 写真提供/杉山晴美
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2000年6月にNY赴任に

え、911とかアメリカ同時多発テロってなんですか? と、全くピンとこない世代の方もいらっしゃるだろう。

なんといっても20年も前の出来事だ。
どんなに前代未聞の、常識ではあり得ないショッキングな事件であろうと、その頃に生まれていなかったり幼かったりすれば、知らなくても当然である。

今回このように多くのかたに届きうるデジタルメディアで連載をさせていただいたが、最終回を書くにあたり、あの頃の記憶が定かでない方々、そして今回ご縁があって20年後の9月11日に公開となるこの最終回で初めてこの記事にたどりついてくださった方々に向け、この連載の初回、私の19年前に出版した手記の出だしとも重なりはするが、今一度、私たち家族に降りかかった2001年9月11日、あの日の記憶を記しておこうと思う。

私の夫は幼い頃から海外で働く夢を持ち、努力を続け、就職した都市銀行から、2000年6月にNY赴任を命じられ、渡米した。
意気揚々とアメリカで働き出した翌年2001年の9月11日、勤務先の、当時マンハッタンで最も背の高いビルが、過激派武装組織アルカイダの自爆テロの標的になったのだ。

2000年の渡米当日、成田空港での杉山陽一さん・晴美さん一家 写真提供/杉山晴美