2021.09.30
# 労働問題

殴る、蹴る、労働者を「生き埋め」に…明治の「タコ部屋」のヤバすぎる現実

一度入ったら、まず抜け出せない…

一度入ると、出られない…

かつて北海道や樺太を中心に「タコ」と呼ばれる労働者たちがいた。彼らは「タコ部屋」と呼ばれる宿舎に詰め込まれ、その多くは娯楽もなく、私語も禁止され、満足な食事も与えられず、過酷な労働に従事させられたという。

その歴史は1890年(明治23年)まで遡る。開拓期にあった北海道において、当初は囚人を使って行われていた工事が廃止され、全国から集められた労働者が鉄道、道路、港湾、用水溝といった工事に携わることになった。これらの労働者が「タコ」と呼ばれる者たちだった。

「タコ」の名前の由来はいくつか説がある。誘拐や脅迫、詐欺などによって北海道外から連れ込まれたため「他雇」と呼ばれたことに由来するという説、長年の労働で肩にタコができた熟練の土工が、その技術と労働力を売ることを「タコを売る」と言ったため、そこから「タコ」と呼ばれるようになったという説。

あるいは、一度宿舎に入れられると、そこから抜け出せず、蛸が自分の手足を食って生き延びるように自分の体を売って生きるようになるため、「蛸」に因んで「タコ」と呼んだ説、過酷な労働から常に逃亡の機会を狙っており、糸の切れたように逃げ去るため、「凧」に因んだという説などがあり、一定しない。

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劣悪すぎる労働環境

ただ、いずれにせよこれらの労働者の多くは望まぬ労働に従事させられた人々だった。

例えば道外で募集された人々の一部は「良い賃金がもらえて楽な仕事がある」と伝えられ、北海道に連れて来られた。そしてタコ部屋の2階に連れて行かれると、一歩も外へ出してもらえなくなる。さらに北海道へ行くまでの宿泊・交通費は前借として扱われ、労働の賃金から引かれることになった。

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