2021.10.15
# エンタメ

「文春砲」で炎上したYouTuber「コムドットやまと」は実は“親ガチャ”勝ち組だった…!

飯田 一史 プロフィール

だが、荒井は2021年現在もこのような価値観が消えたわけではない、と語る。

実際にふだんから行動に起こせる人は減っているとはいえ、エッジィな層には継承されていると思います。僕がフィールドワークしている渋谷では、海外に出る、YouTuberになる、投資家になるといったかたちに変化しながら、価値規範は残っています。かつて渋谷のイベサー、ギャルサーの中核にいて突飛なこと、新奇なことをしていた層は家がお金持ちで高学歴の子が多かったのですが、そういう子たちはいまだと海外留学に行くことを選ぶのが一番多い。「今や若者の半数以上が「オタク」…この四半世紀で一体どう変わったのか」

海外に短期留学したのち起業家を志しYouTuberになったやまとは、見た目はギャル男ではないが、人と違うことをして成功したいという上昇志向や多少の摩擦を厭わないビッグマウスぶりや振る舞いから見れば、高SESギャル男(ヤンキー、不良)の系譜にある存在だと言える。

こうした「人目を気にせず、普通の人ができないことをやってのける」人間に憧れとヘイトがともに集まるのは今も昔も同じだ。

やまとが撮られた緊急事態宣言下での泥酔の一件は、著書にあるように「人が思うほど、迷惑に存在感はない。 勝手に実際よりも大きな「迷惑」を妄想して、自分の行動範囲を狭めているということに、早く気付かなければならない」という考えから来るものだろう。こういう考えは大胆な行動を取ってポジティブな結果をもたらすこともあると同時に、世間から大きな批判を招くこともある。行動指針は「何か言われそうならやめる」ではなく「やってみて本気でまずい場合のみやめる」が基本になる。
したがって、コムドット絡みの大小さまざまな炎上は起こるべくして起こったし、これからも起こるものだと言える。

 

反省しない「迷惑系YouTuber」ではない

ただ、おそらくやまとは、問題が起こったときに考えや行動を変えられない人間ではない。

著書では、やまとが大学1年生のときにミスターコンテストにエントリーし、未成年だったにもかかわらず飲酒している様子を友達のInstagramアカウントから発掘されてネットに晒され辞退するはめになったというエピソードが書かれている。このとき母から「『スパイダーマン』と一緒。大いなるパワーには、大いなる責任が伴う。ミスターコンテストに出る人がするべき行動ではなかったね」と諭され、多くの人の前に立つ人間が取るべき行動ではなかったと反省したとやまとは言う。

もちろん、そこで学んだならなぜコロナ禍の泥酔事件などを起こすのか、と突っ込みたくなる部分もあるが、先ほどの「迷惑」に関する考えと合わせて捉えるならば、一律に「まずそうなものは控える」ではなく、ひとつひとつやりながらセーフかアウトを確認していく、というスタンスなのだ。失敗を積み重ねながら軌道修正していくのが基本スタンスだから、配慮の足りない行動自体は今後も起こる。

ただ、やまとのように「自分、気合い入ってるんで」などと「気合い」を持ち出すタイプの人間が計算高く、あるいはふてぶてしく開き直ったり、表面的に謝罪を済ませばいいと考えているとは筆者は思えない。普段から気持ちの本気度を重視して行動していることと整合性が付かなくなるからだ。

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