2021.10.17

「亡くなった人はここにいる」…震災被災地の「霊的体験」が私たちに教えてくれること

「多死社会」へのヒント
堀江 宗正 プロフィール

実は、私が復興を手伝っていた七夕祭りは、海の向こうに住んでいる死者をお迎えし、送り返すという意味合いを持っていた。祭りは、巨大な山車の上で太鼓を叩き、各地区に独自のお囃子を奏でるという勇壮なものであった。それは他界からの霊を乗せるだけでなく、こちらに留まっている霊を呼び寄せ、海の向こうへ連れて帰ってもらうという意味があったのかもしれない。

 

被災地の宗教者全員に大規模調査をする

塞翁さん以外の被災者からも様々な話を聴いた。私が宗教学者だから、怪しまずに聞いてくれると、彼らは考えたのだろう。だが私はそれを何かに書くのをためらった。仮に自分がこうした体験談を研究目的で調査するなら、次のようなハードルをクリアしなければならないと考えた。(1)まず被災者を傷つけないこと、(2)被災者のメリットになること、(3)何より死者の尊厳を傷つけないことである。

一方、この種の霊的体験を被災者ケアの観点からとらえようとしていたのが、震災後に東北大学に着任した旧知の高橋原である。彼は、故・岡部健医師から、被災地の「幽霊」を調査してほしいという遺志を託されていた。岡部医師は震災前から被災地の終末期医療に携わっていた人物である。彼は、死期が迫った人に親しい故人が現れる「お迎え」現象を生前に調査していた。そして、それが死にゆく人を支えていると見ていた。おそらく、被災者が死者と邂逅する体験も、被災者を支える力になっていると考えたのだろう。

高橋と私はタッグを組み、まず被災者から霊的体験の相談を受けている宗教者を洗い出した。具体的には宮城県限定ではあるが宗教者全員に、大規模なアンケート調査を試みたのである。そのなかで相当の事例を回収した。相談事例なので重いものが多い(それらは自由記述も含めて『死者の力』に収録されている)。当然、タクシー運転手による「消えた乗客」の体験談などと異なり、一回限りのものではない。継続的に霊の気配を感じる、霊が見える、霊に取り憑かれた、何とかしてほしいというものである。

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