2021.10.17

「亡くなった人はここにいる」…震災被災地の「霊的体験」が私たちに教えてくれること

「多死社会」へのヒント
堀江 宗正 プロフィール

死者が行き来する共同体

故人のことを思い出すだけで、ありありと「ここにいる」と思え、安心できる心のあり方は、死者に寄り添われ、支えられている状態である。このような境地にある人が多いA市では、いわゆる怪談の語り口も違う。

A市で有名なのが「信号待ち怪談」である。

信号で停車すると、親子連れ(または大勢の人)が海の方に向かって横断歩道を渡る。なかなか渡り終えないので、渡り終えるのを待つ。すると、後続車から「青信号だぞ」と注意され、気がつくと誰もいなかった。

この話は、死者が海上他界に「渡る」のを生者が見届ける構図になっている。塞翁さんが話してくれた、海の彼方の光に引き寄せられる死者の話を想起させられる。こうして、他界に渡り終えた死者たちは、七夕祭りなど、決められた時期に戻ってくる。同時に、ごく親しい人が思い浮かべると、側に寄り添ってくれる。A市はいわば「死者が行き来する共同体」である。

 

これと比較すると、B市の「コンビニ怪談」では、死者の訪問を恐れた生者が逃げ出してしまう。「信号待ち怪談」の体験者は、死者の往生と安住を見守るのだが、「コンビニ怪談」の体験者は、生者の自己防衛と安住をはかるのに精一杯である。

親族を多数亡くしたB市の男性は、罪悪感と、亡くなった人が自分のなかに流れ込むような、いわゆる憑依に近い状態に苦しんだ。たまたま般若心経の意味を知り、心を無にすることで心の平安を保つことができるようになった。そのため、死者との絆はつとめて考えないようにしている(七五歳男性、二〇一四年九月二四日談)。無理に死者との絆を大切にしないという姿勢も、この男性にとっては合理的な選択と言えるだろう。とはいえ、死者を位置づける適切な枠組があれば、この男性はもっと普通に死者を思うことができたのではないか。死者も恐れられずに、この男性の側に寄り添うことができたのではないか。

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