やりすぎた結末はどうなる?
前述「中国恒大は前座!後に控えるリーマン級危機に世界は対処できるのか」の5ページ目「1929年株式大暴落は当時の新興国米国から始まった」で述べたように、大恐慌クラスの危機まで私が心配するのは、これまで金融緩和やバラマキで「先送り」してきた問題がいよいよ目の前に現れているのに、政府や中央銀行に打つ手が残されていないからである。
遡れば、1971年のニクソンショック(金ドル交換停止)によって、ドルを含む世界の通貨がいくらでも「輪転機で刷ることが可能になった時」が「歯止めが失われたとき」と言えるかもしれない。
そのつけをもっと早く払うべきであったかもしれないのだが、「金融技術」の発展により「つけ払いがどんどんたまる」結果となっている。そしてニクソンショックから半世紀たった今、「もうこれ以上つけ払いはできないですよ!」と最後通牒を突き付けられているのが我々だといえよう。
「昨日までバブルが崩壊しなかったから、明日もバブルは崩壊しないさ」と、数字やロジックを積み上げて主張する人々がいる。しかしそれは単なる「屁理屈」であって我々の役には立たない。
それは、「昨日晴れたから、明日も間違いなく晴れる」という天気予報と何ら変わりはない。
「お金って何?」という議論は長くなるので、7月6日公開の「『仮想通貨』『ドル』『金』『株』、じつは“一番安心できる”のは…? プロの『意外な答え』」3ページ目「『交換の先送り』とは?」以降を参照いただきたいが、要するに「みんながお金だと思っているからお金」であって、そう思わなくなれば単なる紙切れや電子信号にしか過ぎない。
長い間、我々は意識していなかったが、2月8日公開の「コロナ危機で、じつは『銀行預金』より『株』が安全になりそうなワケ」の冒頭で述べたように、ドルの価値は金に対して1世紀の間におおよそ100分の1になっているのだ。1世紀ではなく、1年で同じことが起こったらどうであろうか?