2021.10.26

江戸時代「吉原の最高位の遊女」と過ごすためには、いくら必要だったのか? 驚きの値段

田中 優子 プロフィール

呼び出しは入り山形(山の形を二つ組み合わせたもの)の下に星(小さな黒丸)を二つ置いた記号で表しました。その下の新造のつかない昼三は入り山形の下に黒の四角記号、昼夜で三分の昼三は、入り山形の下に黒丸ひとつで表しました。昼三の下の「附廻し」という位は昼二分で、入り山形の下に白丸ひとつ。

その下の「座敷持ち」という位は昼一分か昼二分で、入り山形のみ。振袖新造、番頭新造などは無印です。最下級の「切見世」と言われる店にいる「局女郎」という遊女は、約一〇分の単位で五〇文とか一〇〇文、つまり900円、1800円という値段をつけられていました。いかに遊女間で格差が大きかったかがわかります。

しかし一方、細見によって驚くのは、その透明性の高さです。行ってみないとわからない、などということではなく、出版物で値段を明確にしていて、不当な金額を要求されることがありません。もちろんお大尽ともなると、これ以外にご祝儀(チップ)をばらまくと思いますが、そうしなくともよいのです。出版物はそういう意味でも、遊廓の敷居を低くし、遊廓繁栄の礎を作った、と言えます。

 

遊女を花に見立てる

ところで、1774年に浮世絵師の北尾重政の絵を入れ、初めて蔦屋重三郎が独立出版社として刊行した遊女評判記『一目千本』ですが、別名「華すまひ」とも言い、遊女を花に見立てている本なのです。

遊女を商品として列記するのではなく、生け花が並べられています。18世紀後半は生け花の世界が「抛入花」から「生け花」へ変わるころでした。それにともなって生け花は「見立て絵」の素材として、出版市場に乗るようになっていました。1755年には花に見立てた絵本が刊行されています。

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