「全部私が指示した」眞子さまの“聖断”でムードが一変する日本の謎

あなたを駆動する「物語」について17
赤坂 真理 プロフィール

眞子さまの「聖断」

結婚の会見とそれへの反応を見て、違和感をおぼえたところがあった。

「眞子さん」が、小室圭さんの親のトラブルへの対応や結婚後にアメリカを拠点にすることなどを「全部自分が指示した」と言ったところだ。

物語の型として考えてみる。推理小説やサスペンスで「全部自分が指示した(やった)」と言う人は、十中八九、誰かをかばっている。その人物がしたこともあるだろうが、全部、ではない。実際それは、関係性として少し不自然である。

つまり、100%の真実を、その人物は言っていない。不自然さは目立つから、物語であるならば、必ずや第三者に追及される。ここでは本件を、物語論として、そして通常はどうであるかという話をしている。物語とは、人間の自然な傾向を抽出したものである。

ところがこの場合、この人物の言葉はすべて信じられ、追及はやんだのである。

追及するのがいいと言っているわけではなく、追及に値する問題だったとも思わない。が、この種の言説がすべてありのままに受け取られるのは、あまり自然なことではない。

 

ああ、「鶴の一声」、と、わたしは思った。

「聖断」だ。「玉音」?

天皇や皇室に関して、こういう不思議なことが起きる。

戦争で、あれほどに暴れ恐れられていた兵士は膝をつき、メディアは180度言うことを変えたりした。敵対国の者たちも驚いたくらいに。

わたしはこの国の構造のことを話している。国民に対して、その力があると知ったうえでないと「全部わたしは指示した」ということは、言えないだろうと思う。

「聖断」で事態が収拾される。とても新しい状況の中で、古いパターンは繰り返されている。

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