2021.10.31
# エンタメ

「教育格差」が社会を分断する…いまこそ「ごちゃまぜ」な公立校が求められるワケ

教育における公正の追求はなぜ重要か

「教育格差がある」と言うと、少なくない保護者に芽生えるのは「自分の子どもを下の方にしたくない」「競争の敗者にしたくない」という気持ちだろう。その心理を利用して政治家は公立校に対しても競争を煽り、教育産業は受験対策の早期化・長期化を促す。そしてそれに乗った家庭と乗らない/乗れない家庭でさらに格差が広がる。
親の願望や学歴期待の大きさが子どもの地位を左右する「ペアレントクラシー」化が全面化すると、社会が分断され、全体として見た場合にかつてより活気のない社会になりかねない。各家庭・個人の個別最適の追求が、社会の全体最適を損ねてしまうのだ。

『二極化する学校 公立校の「格差」に向き合う』(亜紀書房)を著した教育社会学者・志水宏吉(大阪大学大学院人間科学研究科教授)に、子どもの「卓越性」重視に傾く今日の教育の問題点について訊いた。

 

教育における公正を置き去りにすると社会はどうなるか

――志水先生は、教育の二大原理は「卓越性」と「公正」の追求であり、このふたつは両立可能だとおっしゃられています。卓越性追求は子どもが「良い学校に行き、良い暮らしをする」のために手を尽くすことだとすぐ理解できると思いますが、「公正」原理とはどういうものでしょうか。

志水 ひとりひとりを大事にする、特にしんどい立場・状況にある個人を放っておかずにみながお互いに目を配り、全員に安心できる居場所を実現しようということです。

具体的に言うと、公立校にはたとえば、日本語はしゃべれるけれども漢字はわからなくて授業の中身がわからない外国人の子どもや、ある種の障害があってかんしゃくを起こしやすいとか、落ち着いて座れない子もだいたいいます。そのとき学校、教室のありかたが、見て見ぬフリをするか、それとも大人が目配りし、子ども同士で助け合い、教え合うというシェアする/される関係を自然に作れるかどうかで、その場にいた子たちは違う大人に育っていきます。

[PHOTO]iStock

――教育における公正を置き去りにし続けると、どんなことが起こるのでしょうか。

志水 次の世代、次の次の世代にどういう子どもが育つのかが懸念されます。

私は今は大阪大学に所属していますが、その前は東京大学教育学部に7年勤めました。振り返って思うと、卓越性を追求して育ってきた東大生の中には、自分とは異なる背景を持つ弱者への共感、逸脱した人間に対する姿勢がクールな人も多かった。

大阪大学はその点、共感力のある学生が多いです。でも、一部偏った見方をしている学生もいます。他にも偏差値で言えばそこそこである大阪教育大学にも勤めていましたが、そこの学生たちが一番バランスが取れていました。逆に、大学に行っていないとか偏差値の高くない大学に通う学生の中には「勉強ができるやつは俺らとは違う」という偏見を持つ学生もいます。

いろんな子たちが同じ空間のなかでお互いの価値観を知り、助け合って育つ経験を持たないと、社会の分断が促進されてしまいます。

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