「学力が全て」ではないけれど
実際に選択肢が増えたのも事実

今日まで日本において、学力差が経済格差に大いに関係していることは否めません。
テストの点数だけでは測れない、非認知能力が重要、と言われて久しいですが、まだまだ比較しやすく数値で表された学力で判断されがちなのも現状です。
学歴が、社会的信用の重要な要素になることもあります。

ただ、これまで、“学力が全てでない”ことを嫌と言う程味わってきているのも事実です。
特にメディアの世界はそうかもしれません。
社会人になり、私はまざまざと見せつけられました。
学歴やキャリアに関係なく、現場で誰よりも輝き、時代の寵児に駆け上がっていく人達を。

だから、学力が全てではない。

それよりも、人とは違う発想力や、敏感にその時の流れを感じ取る力、人を魅了する人間力……。その人達には、そんな類まれな才能がありました。

そういう人達がすぐ傍にいたことで、私は早い段階で気が付きます。
自分には人より秀でた才能はない、凡人だ、ということを。
だからこそ自分は、勉強すれば誰でも手に入れられる知識や情報を蓄えて、場数を踏んで技術を身に着け、学ぶことをやめてはいけないんだ、と。

でもそれは、社会人になってから。
ではそれまではどうだったのか、と問われると……。

秋晴れのなか幼稚園の運動会。観覧は1人のみだったので、カメラとビデオを両手に大忙しでした。写真提供/中村仁美
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私は中学受験を経験していますが、これは同じように娘の将来を心配した両親の意向です。
大学受験も、大学受験をするのが当たり前、という進学校だったからで、その流れに乗ってみただけ。理系に進んだのは、英語や社会が苦手だったから。
その結果、中学受験でも大学受験でも、第一志望の学校は不合格。
長男に言えるほど、意欲的に勉強してきたわけではないのです。

でも、そんな環境へ誘導してくれた親に、私はとても感謝しています。
なぜなら、アナウンサーの受験資格は “4年制大学を卒業、または卒業見込みの者”。
私の意志とは関係ない、親に与えられた環境で、周囲の流れに乗ってみただけですが、アナウンサーになりたい!と思った大学3年時、夢を諦めずにすみました。

あの時、親に導かれていなかったら、私は楽な方、楽な方へと進み、今の私はなかったでしょう。

“学力が全て”ではないし、“幸せ=お金”では勿論ないけれど、そんな自分の経験から、やりたいこと、好きなことがまだ見つかっていないのなら、とりあえず勉強をしてみてはどうだろ。何よりも、私の辿った道ならば、私が知らない道を行くよりも、将来ある程度の予測ができる。そう、私がなんとなく安心できる。