女優の高橋メアリージュンさんが「優しさ」について綴っていく連載第2回。今回のテーマは「家族」。メアリージュンさんといえば、妹はモデルの高橋ユウさん、弟はアーティストの源治さんとプロサッカー選手の祐治さんという華やかきょうだいで有名。日本人の父親とフィリピン人の母親とこの4人きょうだいは、本当に仲がいいといいます。
しかし、メアリージュンさんが12歳のとき、実はこの一家の生き方が大きく変わる出来事がありました。「琵琶湖会議」とメアリージュンさんが呼んでいるその出来事とは……。

大好きだった母のフィリピン料理
私が育った家は、両親・私・弟・妹・弟の6人家族。父は日本人で、母はフィリピン人です。母は家族8人を養うために20代で日本に出稼ぎに来て、そこで父と知り合い、結婚しました。いつも明るく天真爛漫で、娘から見てもチャーミングな女性です。
父は牛乳販売店を経営していました。事業の成功で生活には余裕があり、家族全員でしょっちゅう海外へ行ったり、ホテルに食事に行ったり。家で食べる時も、テーブルに大量の料理がドーンと並ぶのがお約束でした。
母はフィリピン料理をよく作ってくれて、なかでも頻繁に食卓に登場したのが“アドボ”という煮込み料理。これは日本で言うところのポン酢でチキンを煮込んだもので、すごく美味しいんです。基本的にフィリピン料理はご飯と合う汁ものが多いのですが、母は料理が完成すると「はい、並んで~!」と私たちきょうだいを一列に並ばせ、「順番ね」と言いながら一口ずつご飯やおかずを食べさせてくれました。

パクッと食べたら最後尾に並んで、また自分の順番が来たらパクッ(笑)。もちろん子どもたちが小さい頃の話ですが、母は何でも面白がって遊びにしてしまう人で、私たちきょうだいも食事の時間が来るのが楽しみで仕方なかった記憶があります。
食事の際、母だけは背もたれのないスツールに座っていました。誰かにおかわりをよそったりする時に、サッとすぐ動けるようにという理由からだったのでしょう。子どもっぽいところもある母ですが、家族への愛情は人一倍強かったと思います。