女優の高橋メアリージュンさんは、日本人の父、フィリピン出身の母、そしてメアリージュンさんを筆頭に、男女ふたりずつ4人のきょうだいの6人家族。高橋ファミリーは、本当に仲がいいといいます。

しかし、12歳を境に、この一家の生活は大きく変化することとなりました。その過程をお伝えしている連載3回目の前編「高橋メアリージュンの人生が激変…12歳の夏、琵琶湖の「家族会議」の中身」では、「琵琶湖会議」と呼んでいる夏の日、牛乳店を経営していた父親が子どもたちに会社の倒産を伝えるまでをお届けしました。後編ではそこからどのように生活が変化していったのかをお伝えします。

仲良し4人きょうだい。左から二人目が長女のメアリージュンさん。6歳のころ 写真提供/高橋メアリージュン
 

家がマトリョーシカみたいに小さくなっていく

「琵琶湖会議」の後、私たち家族は父の借金返済のために、それまで住んでいた家を引っ越すことになりました。私が3歳の時に父が建て、家族で暮らしてきた家です。ゆったりした2階建てで、1階には広いリビングルームと和室があり、2階には4つの部屋。私自身の個室もあって、週末にはお客さんを招いてホームパーティーが開かれるような豪邸でした。

その大きな家を引き払い、移り住んだのは小さな一軒家。ただし自分の部屋はなく、きょうだい4人でひとつの部屋を使う間取りです。その部屋も、二段ベッドと普通のベッドを入れたらパンパンになるという狭さでした。

その後も同じ町内で何度か引っ越しを経験したのですが、引っ越すたびに家はマトリョーシカのように小さくなっていきました。当時は何も感じなかったものの、今思えば父は、より家賃が安い物件を見つけては引っ越す、を繰り返していたのですね。

とはいえ、根っからポジティブな両親のこと。そんな大変な状況でも、お得意のサプライズ精神を発揮していました。子どもたちに目隠しをさせて、「ジャーン! ここが新しい家でーす!」と、一見、後ろ向きのような引っ越しすら楽しいイベントにしてしまうのです。おかげで私たち子どもも変に落ち込むことなく、毎回無邪気に「イエーイ! 引っ越しや~!!」と盛り上がっていました。