マイノリティは「遠回り」をさせられている

こう書くと大袈裟に感じる方もいるかもしれないが、どうかほんの少しだけ想像してみてほしい。自分自身のような存在はどの物語の主人公にもなれず、たまにメディアに現れたと思っても「変態扱い」「お笑い要員」「主人公の手助け役」ばかりで、ごくまれに物語の主人公になったとしても、そこに待ち構えているのが「悲しい結末」であることが多い世界に生きていたら、どう感じるかを。

そうした空気の中で生き、さらには同性同士では結婚も許されない社会にいることで、僕は上手に人生設計ができないまま成人になっていった。

自分がゲイである以上、表に顔が出るような仕事はできないと思い込んでいたし、30歳を過ぎたら孤独な余生が待っているだけだと考えてしまっていた。それ以外にどういう生き方があるのか、全くわからなかったのだ。だからこそ、同じ思いを発信してくれたり、生き方の参考を見せてくれる存在がどうしても必要だった

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正直に言えば、30代半ばである今の僕は、バイセクシュアルのスーパーマンに救ってもらう必要などないくらいに図太く強い。こうしてライターとして記事を書く場を持てるようになったことも含め、自分自身がかつての自分の「代弁者」になっているからである。

でも、ここに到達するまでの間で遠回りせずに済んだら、もしかしたらその間に諦めなかった夢やライフプランがあったかもしれない。決して自分の人生に悔いはないし、遠回りしたことで手にした誇りもあるが、もし到達する前に絶望へと手を伸ばしていたら、僕は今ここにいないのだ。

そして現在進行形で遠回りをし、絶望に届きそうになっている人たちの中には、例えば新スーパーマンのような存在によって救われる人もいるのではないだろうか。かつての僕自身のように。