現在40代の若林奈緒音さん(仮名)は、幼少期から母親からの束縛や暴力に苦しんできた。

若林さんは幸い、30代で結婚した後、ようやく自己肯定感を抱けるようになり、母親の呪縛から抜け出すことができたという。そして、今では母親ももしかすると辛かったのではないかと考えることができるようになってきたとも語る。

なぜ虐待は起きてしまうのか。それを防いだり、抜けだしたりするにはどうしたらいいのか。
少しでもそういうことが考えられたらと、若林さんは名前を伏せて実体験を伝える決意をした。ここで伝えたいのは、親子であっても、誰かを力でねじ伏せたり、コントロールしたりすることは決してあってはならないということ。それによって人の心に大きな傷を植え付けかねないということだ。

その連載第1回の前編「顔が歪むほど殴られた…40代女性が抱え続ける「母のコントロールの悪夢」の告白」では、バレーボール選手を夢見るもケガで諦めた母親が、若林さんをバレーボール選手にするべく小学2年生のときから相当のコントロールをしてきたことをお伝えした。後編では、中学で進路を考える年齢になり、さらにヒートアップしたときのことをお伝えする。

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バレー強豪校から誘われることを目指して

小学校最後の年、ジュニアチームの最後の試合が近づいていた。ジュニアチームは一つ上の先輩の代が強かったので、バレーボールが強い中学校から誘われる可能性もあった。その学校から春高バレー、プロや実業団にという道に進むこともできるかもしれない。心の底ではバレーを辞めたいと思っている私の真意をよそに、母は私をバレーの強い中学から勧誘されるようにしたいという期待と苛立ちで、私への怒りの言動は増えていた。

しかし、最後の試合を翌週に控えた練習中、私がチームの子の足に引っかかって変な風に転んでしまった。足はみるみる腫れあがり、紫色になった。指の骨折やねんざをしたこともあったが、今までの痛みとは比べ物にならず、立ち上がれないほどだった。きっと折れていると思った。監督やチームメイトも駆け寄ったが、母は大したことないと言い、テーピングをして私を練習に戻した。

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ケガをした練習は土曜の夜だった。翌日になっても痛みが引かず、腫れは倍になったけれど、日曜日だからと病院に連れて行ってもらえず冷やしていた。月曜日になり、さらにひどくなったので、これはダメだと連れて行ってもらった。レントゲンを撮って結果を待ちながらも、母の苛立ちが分かった。私は、怒られることにただただ怯えていた。

「ここまでやってきて、なんで今? 大事な最後の試合の前に怪我するなんて。ついていない。あなたは本当に運がない。やる事なすことダメ。私がどれだけあなたのために、バレーボールのために自分の時間を犠牲にしてきたか……」

医師に呼ばれ、ぽっきり骨が折れた画像を見せられた。ギプスをし、激しい運動は1ヵ月できないと言われた。母の顔の落胆ぶりを直接見られなかった。帰る車の中でも、大きなため息と共に、母から「私をどれだけがっかりさせたかわかるか?」と言われ続けた。

ところが、翌週の試合前、母は思い立ったように私を病院に連れて行った。医師の説得も空しく、ギプスをのこぎりで切ってもらい、外せる状態にしてもらった。そして、あたかも私がどうしても出たいとお願いしたかのように、テーピングを巻いて試合に出ることになった。ねんざのテーピングと違い、折れた骨が皮膚の中で痛んだ。アタッカーだったので、ジャンプや着地に力が入る。その度に痛んだし、タイミングが合わずなかなか点を決められなかった。見かねた監督は私をベンチに戻した。

これで、私のバレーボール人生は終わった。

私はこのとき、実はほっとしたのだ。
ただ、それから足が治るまで、母はほとんど口を聞いてはくれなかった。最初は車で送り迎えしてくれていたが、最後の方は松葉づえをついて小学校まで行き来した。