教育格差に対する家庭レベルでの認識の課題
――日本の学校教育の現場ではどんな子でも「特別扱いしない」学校文化、子どもに対する「扱いの平等」を是とする傾向があるものの、低SES家庭出身の子どもに対しては学力を底上げするための追加的措置が必要である、とも本にありました。もっともだなと思う一方、子どもや保護者から「ひいきだ」みたいなクレーム(?)が出ませんか。
中村 形式的な平等主義にこだわって勉強が遅れているお子さんをフォローすることに反対する意見が出るなら、まずは教育社会学での格差社会論を使ってぜひ説得していただきたいところです。そして、そうした意見の方々には、自分たちのような境遇ではないケースのお子さんに対する想像力を育んでもらいたいですね。その際には現場教師ひとりがすべて対応するのではなく教員集団としてカバーする、あるいは校長などの管理職、教育委員会、文部科学省を含めて、多角的に世間や保護者に伝えていくことで、ケアしやすくなる部分もあると思います。
――教師だけでなく保護者の側も教育格差に対する認識と低SES家庭に対する配慮の必要性を認識する必要がある?
中村 格差の存在自体は、みなさんある程度わかっていらっしゃると思います。ただ、それが個人の努力で「跳ね返せる」ものかどうかはわからないのかなという印象です。

――跳ね返しがたい部分には介入や援助がなされてしかるべきだとまでは社会の共通認識になっていないと。
中村 「認識の問題」という点で加えて言うと、たとえば最近、中学校などで放課後に無償で勉強を教えてもらえるという学習支援のボランティアがさかんに行われていますが、それを利用する生徒が固定してきてしまい、本来であればそこに来てもらいたい子が必ずしも来ないという話を聞いたことあります。「受けて欲しい側の認識」の課題もあります。
私たちが今回刊行したテキストでコラムを担当している豊永耕平さんは、自身の研究の中で「恵まれない家庭では奨学金のハードルを必要以上に高く見積もる」といった意識や認知、情報のバイアスがあり、それが格差解消の壁になっていると指摘しています。たんに経済的な援助を制度的に用意すれば済むわけではない、と。
本当は公的な資金援助やメンタルサポート、スクールソーシャルワーカーへの相談を受けられる場合でも、「うちはお金もないし、お母さんしかいないし」と最初から諦めてしまうこともあります。どんなサポートが、どうやったら受けられるのか、といった情報を必要としている人と情報や人(先生や第三者)をうまくつなぎ、当事者の側のバイアスをほぐすしくみも整備していくべきかもしれません。