2021.11.14
# 歴史

あまりにもお粗末…松岡洋右が「国際連盟からの脱退」を宣言した「残念な理由」

ハッタリのつもりだったが…
1933年2月24日、日本の全権委員だった松岡洋右は国際連盟からの脱退を宣言。国内でナショナリズムが高まるなか、一躍「ヒーロー」となった。しかし次第に日本はドイツ、イタリアとの連携を強めて、戦争への道を一歩ずつ進んでいく……。大木毅氏の新刊『日独伊三国同盟』から松岡の動向を紹介するとともに、当時の状況を振り返ってみたい。
 

松岡洋右とは何者なのか?

「わが大和民族、人と提携し、もしくは同盟したとき、もはやうしろを顧みるものではない。はっきりとして心中までいくという決心で、抱き合って進むあるのみ」

「コミンテルンに対して協同して立ち向かおうというて、ここに盟約したものが、東に我が大和民族の国、日本、西にチュウトン民族の国、ドイツである。しかして今日の世界を見回しますと、かかる問題につき、みずからの良心に問うて、人類の福祉を顧念して、男らしくすっきりと立ち上がり得るものは、東に大和民族、西にチュウトン民族のあるのみであります」

なんとも壮士調というか、あるいはファナチックというべきか、ある種の臭みを感じさせずにはおかないせりふである。かかる発言をなす人物は、常に冷静で、かつ鋭敏なバランス感覚を保持していることを要求される外交官には向かないだろうと、首をかしげたくなる。

松岡洋右[Photo by gettyimages]

ところが、新首相近衛文麿が、軍部を抑えられるのは君だけだから、外相を引き受けてくれと懇願したのは、こうした言葉のぬし、松岡洋右なのであった(引用は、日独防共協定締結直後の松岡演説より)。

松岡は、1880(明治13)年3月4日、山口県室積に生まれた。生家は、代々廻船問屋として栄えた家柄だったが、父の代に傾いており、松岡も自らの運を拓くために努力しなければならなかった。

SPONSORED