何かに没頭すると外部との回路が遮断される

ーー萩原健太郎監督にも「わからない、わからない」と話し合いながらの役作りが最後まで続いた。でも、心のどこかでは菜穂を「わかってしまってはいけない」ような気もしていたと振り返る。だからこそ、菜穂の中に自分と近いものを見つけたときに怖さも感じた。

 

「どこか他人事で絵画以外に熱意を傾けることに意味を見出していないので、人やモノに対して急速に興味をなくす瞬間が菜穂にはあるんですね。だから傷つきづらいのかなとも思うんですが、ちょっとわかる部分もあって自分が怖くなりました。急に興味がなくなる瞬間、私にもなくはないなって。他には、何かに没頭したときに時間の感覚が無くなったり、長期的に集中している仕事に入ると人間として終わっていたり……、部屋がぐちゃぐちゃになってしまうような部分は似ているかもしれない。何かに没頭することで外部との回路が遮断されてしまうのは、共感というか、そのエネルギーを知っている気がすると思いました。没頭しているときって幸せなんですよね。その分、終わったときに無になるんですが」

Photo/SHIN ISHIKAWA(Sketch) 

――無になる感覚は、虚しさではなく燃え尽きることによるものだと分析する。20代前半では忙しさという激流に飲み込まれ、燃え尽きる間もなく次から次へと作品が途切れることはなかった。20代後半になった今は、芝居以外の自分を謳歌する。

「何も知らなかった10代は無敵(笑)、世界が広がった20代で自分のコンプレックスをたくさん見つけてしまって、苦しい時期もあった。でも、才能に対して勝ち負けではないとこうして思えるようになったのは、才能とはそれぞれが持ち合わせているものを最大限伸ばして、持ち味にしていくことだと気づけたから。すると自分の内側に興味がわくようになったんです。それまでは目が外に向いていたけれど、今はそんなに人と会えないですし、矢印を内側に向けてもっと自分を研究して、自分を知りたいなと」